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命と心の健やかなる成長のために!
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Thanksgiving(No.17)

               全ての経験を変える神の事実




飢饉の年がやって来る前に、ヨセフに二人の息子が生まれた。・・・・ヨセフは長男をマナセ(忘れさせる)と名付け・・・・また、次男をエフライム(増やす)と名付け・・・・。
                                                                                                        【創世記41章50~52節】


二人の息子を見た瞬間・・・・
 今回の記事は、その後のヨセフが、如何に神の「ご計画」の中で取扱われ、彼がそれまで経験した全ての事実が、ものの見事に180度造り変えられたかを、私たちに教え示しています。


 ヨセフが王の夢を解き明かした通りに、エジプト国家は最初の7年間、経験したことの無い大豊作の時を迎えました。王に次ぐ行政官としてヨセフは、この大豊作を「商売」の好機とは捉えず、主なる神の「恵み」として、全国中に貯蔵庫を造り、大収穫の殆どを備蓄するという、一大プロジェクトを敢行しました。


 その間、ヨセフは王の進言もあったことで、ポティフェラ(神官)の娘アセナトと結婚します。そして彼ら夫婦には、二人の息子が授かりました。長子マナセと次男エフライムです。最初の子を授かった時、彼は心底から神の「憐み」と「愛」に服し、思わず感激の涙をもって、主なる神の偽らざる「事実」を見て、真実の感謝を捧げたのです。


 そうです!彼が今までの受けた様々の辛い経験が、我が子マナセを見た時に、一瞬にして忘れ去る(消去される)という、素晴らしい体験をしました。一応彼の記憶には、精神的に残ってはいるのですが、その辛い記憶の全てを、優る(自然に消滅していく)程の神の偉大なる「恵み」が、彼の経験をリ-ドして行くことになります。その後ヨセフには、新しい神の「公式(見えざる事実)」が、自分の体験する全てに渡って、豊かに支配して(覆って)いる様も見えたのです。


 次男エフライムが生まれた時にも、同様の(更に優った)体験を、実際に見ることになりました。ヨセフは、赤子エフライムの中に、神の偉大なる「祝福」の拡大が、まさにこの瞬間から始まっていることを、霊の眼で見たのです。それはヨセフ一族(私的家族)だけが、大きく広がっていくことではなく、イスラエルの全家が、いずれは世界中に拡大するという、神のご計画のことです。


「人の事実」に優る「神の事実」
 ところで、私たちの「体験」や「歩み」の積み重ねは、ある面で鉄筋コンクリ-ト製の壁のようなものです。一見、強度的に頑丈そうに見える、鉄筋コンクリ-ト製の壁であっても、度重なる巨大地震の揺れには、たちどころにヒビ割れを起こし、最終的には崩れ倒れる弱さがあります。


 同様に私たちの「体験」や「歩み」の積み重ねは、年月を経て強固になるのですが、予想もしない「試練」や「苦難」が、突発的に連続して起こりますと、精神的にボロボロ状態に陥ります。そして立っていた「自分」が、全面的に倒れるのです。しかしヨセフの場合は、若かりし頃に経験した、様々な「苦難」の連続を通して、遂に神との「交わり(対話)」こそが、唯一自分を支える方法であることを、牢獄生活の中で学びました。


 この世の人々は、自分の語る(思う、願う、計画する)「私の言葉」を頼みとして、自分の人生を作り上げよう(見える化しよう)とします。それに対して私たちキリスト者は、見えざる神の「命の言葉」を、信仰の目をもって掴み取り、見えざる神の「事実」に期待します。


 そうです!ヨセフ同様に私たちも、たとえ「今」目に見えなくとも、「神の時」至りて、見えざる神の「言葉」と「事実」が、必ず自分の真の人生を完成させる!ことを、まさに受け取っているのです。神の「命の言葉」は、「その時」は完成されていなくとも、その真実の(偽り無き)言葉が、確実に自分の人生の全てを、ある方向性をもって導いていることを、後々気付くことになります。それはまるで、全ての「謎」が解けるかのような、霊的体験となります。


 ヨセフは二人の息子を見た時に、良い意味で「もう駄目(降参)だ!」と思いました。それまでは、まだ肉の次元が残っていたからです。「いよいよ私は、この偉大なるエジプト国家の大貴族として、私の人生を確立しよう!」等と。ところが聖霊様は、そのような彼に激しく臨みました。「ヨセフよ待て!あなたは必ず、アセナトとの間に産まれる、二人の息子を見た時に、主なる神の偉大なる恵みを覚え、更なる奥深い次元へと導かれるから・・・・」と。


 最初の息子(マナセ)を見た瞬間、まさしく自分の過去の人生を、全て消し去る(忘れる)程の、神の偉大なる「御顔」を、我が子の中に見出したのです。「主なる神は、若かりし時の私の苦しみの全てを、決して忘れてはいなかった。神の事実の中にあっては、それら全てが組み合わせられる時に、神の真実こそが全ての辛い経験を、益に変えて下さる!」と。


 確かに私たちの人生には、永遠に封印したくなる程の、辛い体験の数々が山ほどあります。ところが神の事実の中で見る時「この経験があったからこそ、今の自分がある!」、即ち神の「真実」によって、今の自分が確立している!という、実に不思議な(世の人々には矛盾と思える)信仰告白(感謝)が出来るのです。


 では、続いて産まれたエフライムを見た時、ヨセフは何を見出したのでしょうか?更なる神の「祝福」、即ち「人の事実」を超える、「神の事実」という霊的次元に、自分の家族が入ったことです。しかしそれは、「私の家族」の拡大(世的繁栄)を意味するのではなく、二人の息子を通して始まった、イスラエルに対する神の「ご計画」の、次なる展開(霊的拡張)でした。


 この時のヨセフには、未だ分らなかった「神の事実」がありました。それは七年間の大飢饉によって、エジプトはヨセフが主導した、七年の備蓄プロジェクト政策で、国家的破綻は免れます。ところが、この七年の備蓄プロジェクトは、周辺諸国(特にイスラエル)をも救済(援助)する、「神の事実」が用意されていることでした。これが神の次なる展開(霊的拡張)でした。


 確かに、私たちは「現実」を見る時に、「あ-、これでは(自分が)ままならない!」等と呟く時があります。しかし「神の事実」で見るのであれば、「主なる神が、一旦始められた以上、それは後退することは決して無い!むしろ拡大していくだけだ。」と、少しなりにも前進できるのではないでしょうか!


 マナセ・エフライムは、その後イスラエルの諸部族の中で、有力な勢力に拡大します。私たち日本民族は、これから如何なる方向に進むのか、さっぱり分かりません。しかし私たち日本人キリスト者は、次のように信仰告白できます。「神の偉大なる歴史の中で、日本人キリスト者たちが、聖霊を通して呼び集められ、キリストの御体として一つとなり拡大する!しかし同時に、反キリストが台頭して来た時には、多くの殉教者が出ることで、一旦は縮小したかに見える。しかし神の子羊、イエス・キリストの再臨により、世界中のキリスト者が、最後の戦いへと召し出される時、神の栄光ある大勝利が完成し、新しい神の天地が完成される!」と。


 あなたが霊的イスラエルの民として、「今」は苦しくとも、いずれは神の偉大なる拡大路線の中で、失われた羊たちを率いて行く、神の救済者として召し出され、更に祝福されて行くことを、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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