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命と心の健やかなる成長のために!
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私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Thanksgiving(No.11)

                   贖いのゴ-ルのしるし



あなたたち・・・・と、代々とこしえに私が立てる契約のしるしはこれである。即ち、私は雲の中に私の虹を置く。これは私と大地の間に立てた契約のしるしとなる。私が地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、私は・・・・契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものを全て滅ぼすことは決してない。雲の中に虹が現れると、私はそれを見て、・・・・永遠の契約に心を留める。・・・・これが、私と地上の全ての肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。
                                                                                                         【創世記9章12~17節】


雲の中に「虹」を置くとは?
 ご存知のように「ゴール」とは、目的地や最終地点のことです。そして今回のストーリーのキーワード、それは「虹」です。殆どの人にとって「虹」は、好ましいイメージです。何故なら「虹」は、雨上がりに現れるということで、やっと晴れ間が指す!という安堵感を与えたり、滅多に見られないものということで、見た時に「幸せ感(ラッキー!)」を抱くという、実に不思議な効果を与えます。


 主なる神が雲の中に、わざわざ「虹」を置く時、それは単に「虹」を出現させることではありません。それは滅多に見ることの無い、貴重な宝石を、展示コ-ナ-に置く(見せる)ことに似通っています。さてこの「虹」が、雲の中に置かれる時、如何なることが起きるのでしょうか?


 13節に記述されている「虹」とは、英語で「bow」と言い、弓(曲がった状態のもの)のことです。私たちにとっては「雲」は、ただの雲に過ぎませんが、ノアたちにとって「雲」は、心がズタズタにされる程のもの、つまり「雲」を見るだけで、もうウンザリ!と思う、それ程のしるしです。そして彼らが雲を見て最初に思うこと、それは「自分たちが犯した罪故に、暗雲が地上に出現したのでは?」という罪責感から来る「不安(恐れ)」です。


 それ故に「雲」が出る度に、「未だ赦されていないのでは?」と、主なる神の「裁き」を恐れるのです。そのような彼らの中に、今回はアーチ状の「宝石」の如きものを、主なる神は置いた訳です。彼らは「虹」を初めて見て、当然びっくりしました。そこで主なる神は「これは私と、あなた方並びに全ての生物との間に結ぶ、永遠の契約のしるしである。」と、直々に御言葉(説明)を与えました。


永遠の契約のしるし
 「暗雲」は、決して無くなるものではありません。それと同様に、私たちは罪の末裔であり、いくら神の「救い」を受けたとしても、「罪」そのものが、私たちの生活の中から、完全に消滅することはありません。それをご存知の上で、主なる神は雲の中に「虹」を置くことで、如何なる「罪」を犯したとしても、神は「救い」の架け橋を現して下さる!ことを、私たちに提示しています。


 即ち、神の贖いの「サイン」は、いつ如何なる時にも現されるのです。私たちは神の贖いの「サイン」を、時々見落とす(忘れる)ことがあります。だからと言って神は、この永遠の契約のしるしである「虹」を、私たちが忘れたから、出現させるのではありません。あくまで神は、わたしたちがどうであれ、ご自身の御心のままに、「虹」を雲の中に置くのです。


 主なる神が「虹」を雲の中に置く、その最大の理由は、神ご自身も「虹」を見ることで、「贖いの契約」を私たちに対して、必ず果たす(成就する)サインとして、ご覧になる(受け留める)ためです。確かに今回の大洪水により、神は人の犯した「罪」に対して、最大の「怒り」を現しました。ところが神は、ノアに対しては「今後このようなことは、絶対に為さない!」と約束しました。


 続いて神は「私の救いを、この地に現すためには、あなた方が必要である!あなたの子孫がどうであれ、御子の現れを通して、贖いが完成されるべきである。そのためには、私自らも永遠の契約を忘れぬよう、雲の中に虹を置き、これが現れる度に肝に銘じるサインとする。」と、念押しされたのです。


 そういう意味で、神が「虹」を見る時、それはご自身と私たちとを結ぶ「永遠の契約」、つまり「いつまでも変わることの無い」愛の交わりなのです。神が「虹」を雲の中に置いた、その真実の目標は、永遠に私たちを愛し、憶え続けるためである!この奥義を是非忘れないで下さい。


感謝(真心)を表すサイン
 ところで「bow」とは、前述したように「弓」のことですが、もう一つ動詞としての意味になると「体を曲げる」、つまり感謝する際の「お辞儀」的な体勢も意味します。そうです!私たちは自然に、感謝する相手に対して頭を深く下げながら、自分の「礼」を現す際に、全身全霊を込めて「bow」するのです。


 と言うことは、神の永遠の契約である「虹」を見る時に、神ご自身の側としては、人との間に交わした「愛の契約」を覚え続けるためですが、私たちの側としては、神の「永遠の赦し」、また「和解のしるし」に対して、膝を屈めて「bow」することが、実は求められているのです。つまり「贖い」の恵みを受けた、私たちのゴ-ルです。


 私たちは確かに「罪」を犯し易く、神の「赦し」を直ぐに忘れる等、霊的には「出来損ない」の如き器ですが、主なる神の側としては「虹」を置くことで、「救いの初穂」であるノアばかりでなく、今に生きる私たちに対しても、「贖い」のゴ-ルを示して下さいます。ならば私たちは常に、唯一の救いの道である、御子イエス・キリストを戴いている以上、私たちが救いの道を歩むことで、神の「贖い」が完成されるのです。


 ノアは「虹」を見て、その後に神が語られた、虹の「奥義」を知らされた時、「あ-、もう心配する必要は無い!たとえ暗雲が立ち込めたとしても、神は太陽の光を再び照らし、最終的に虹を輝かして下さる。そうだ!神は尚も私たちを、永遠に愛して下さっている。私たちの罪咎を打ち消し、私たちを実子として受け入れて下さる、つまり私たちは決して見放されていない。だから私たちは、大胆に新しき地に踏み出て、神の土地を耕して行こう!」と、家族に向けて神の「贖い」を語りました。


 たかが「虹」と思われるものが、実は素晴らしい神の「永遠の贖い」として、私たちにも示されているのであれば、私たちも神の「永遠の贖い」に対して、霊と真をもって「bow」して参りましょう!「主よ、感謝します!私たちは、あなた様の贖いの御業の数々を、全ての人々に語り伝えます。私たちを通して、あなた様の豊かな贖いの光が、七色の如くに輝き出ますように!」と。


 あなたが更に、神の「贖い」を豊かに受け、新しき地にあっても、実りある祝福を刈り取ることが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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