Terminal Sound(No.13)
神の「助け」を求める叫び
それから長い年月が経ち、エジプト王は死んだ。その間イスラエルの人々は労働の故に呻き、叫んだ。労働の故に助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされ、神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた。
【出エジプト記2章23~24節】
神の「助け」を求める叫び
今回の御言葉には、「神の国」の次元を引き出す為に、私たちが信仰の「叫び(サウンド)」を、大胆に発することが、如何に重要な信仰行動であるのか、それが明確に描かれています。そこで「労働の故に助けを求める彼らの叫び声」(23節)と記されていますが、神に対する「助け」を呼び起こす、彼ら(イスラエルの民)の叫び声(サウンド)は、一体如何なる次元から発出されたのか?これを先ず知る必要があります。
ヨセフの苦難の「人生」から始まった、ゴシェンの地の奇跡(民族的リバイバル)は、いよいよ「神の時」が、次の段階へと引き上げられる、それがモーセの誕生を通して、再び始まることになります。然り!イスラエルの民が、いつまでも「エジプト(世の次元)」に留まることを、主なる神は「良し!」とはされませんでした。むしろ本来帰るべきポジションは、神の「約束の地(カナン)」だからです。
その為に主なる神は、エジプトの王ファラオを用いて、エジプトに依存し過ぎたイスラエルの民が、本来立ち返るべき次元を再び思い起こすように、あえて過酷な労役を課したのです。労役を課すことで、①彼らの精神を苦しめ(誇りを貶め)、更には男性成人を②肉体的に枯れさせる(性的機能を低下させる)など、言わば民族的浄化政策の「始まり」です。
その結果、彼らは遂に「叫び声」を発しました。耐えられない苦境(逆境)に追い込まれた時、私たちは何かを求めて叫びます。然り!「助けを与えて下さい!」という、全身全霊から湧き上がる、呻きの「叫び(サウンド)」です。不思議なことに私たちの「唇」は、悲しい時は嘆き悲しむ音(サウンド)、苦しい時は「贖われる(救助される)」ことを必死に探し求めるなど、激しいサウンドになります。
神の「助け」-四つの動き-
ご存知のように「助け(救助、支援、援助、扶養など)」という言葉の概念には、他者の「手」によって支えられる!というイメージが浮かびます。英語の「Help(ヘルプ)」とは、まさしく自分の手を実際に差し出して、相手を引き上げる(抱き上げる、起こす)ことです。然り!イスラエルの民が、神の「助け」を求めて叫んだ(サウンドを発した)時から、神の「御手」が遂に動くことになります。
「御心に留められた」(25節)の言葉の中には、主なる神が実際に「事(救い)」を、既に開始される(御手が動き始めている)」という意味を含んでいます。23~24節には、神の助けの「動き」が四つ記されています。第一の動きは、①イスラエルの民の「叫び声」が、神の御許に届いたこと、即ち聖霊様が彼らの(サウンド)」を、主なる神の御耳に運んだことです。然り!聖霊様は常に、弱い私たちの為に、代わりになって働いて下さり、私たちの「叫び」を神に届ける方です。
その時に何が起きるのでしょうか?それが第二の動きで、②神が彼らの「嘆き」を聞いたことです。ご存知のように、生き物が発する音(サウンド)には、必ず発信者の「音の心」とも言うべき、「意思(音意)」が生きています。それ故に主なる神は、今回彼らが発した「叫び(サウンド)」の意思を、「嘆き」として受け取りました。
続いて第三の動きは、③彼らの「嘆き」を思い起こすことです。何故全能なる主が、わざわざ思い起こすのでしょうか?契約を破った(忘れ棄てた)イスラエルの民が、再び神の「契約」の下に立ち返り、神の「贖い(救い)」を求め始めたからです。最終的な第四の動きは、④主なる神が愛して止まない、ご自分の娘や息子のことを、決してそのままに放置はしない、即ち常に顧みることです。何故でしょうか?あなた(私)が、御国の「祝福」を受け継ぐ、プリンス(プリンセス)だからです。
ですからイスラエルの民は、主なる神が「御心」に留められたことを通して、偉大なる神の「ご計画」が再開され、彼らが神の霊的「実子」として、遂に「カナン(祝福の領域)」へと召し出されたのです。私たちが「苦難」や「試練」に遭遇する時、肉では激しい「叫び」の祈り(訴え)を上げていても、霊ではローマ書8章でパウロが力説しているように、「体(古い世の殻)」が「御国の体」に贖われることを、必死に願い求めて、聖霊様の執り成しにより呻いているのです!
そうです!私たちに与えられている、この唇の「叫び(サウンド)」には、御国につながる素晴らしい力がある訳ですが、その明確な理由は「もし、彼が私に向かって叫ぶならば、私は(必ず)聞く。私は憐れみ深いから」(出エジプト記22章26節)です。この御言葉にある「私は聞く(応える)」には、実は助動詞の表記として「will」という、語った主体者(この場合は主なる神)の持つ、強い意思(御心、ご計画)が付随しているので、文字通り「必ず応えて、必ずその通りに自ら行う(完成させる)」という、素晴らしい約束(契約の実現)が伴っています。
異邦人の母親の「叫び」
仮に世の人々が「助け」を求めて、イエス・キリストの御名を、試しに呼ぶのであれば、その時もイエス・キリストは聞いて下さいます。マルコ福音書7章24~30節には、ユダヤ人から見て異邦人(フェニキヤ人)のある母親が、ユダヤ人のイエス・キリストに対して、娘の病いが癒されるよう、「助け」を求めて叫び続けている記事が描かれています。
彼女はイエス・キリストに相対した時、不思議な表現(サウンド)をもって、イエス・キリストの「助け」を求めました。「子犬(異邦人の私たち)でも、主人(ユダヤ人)の食卓から落ちる、パン屑のかけらを食べて良いですよね?」と。それに対してイエス・キリストは、非常に感心しながら「その通りです。あなたの叫びは、今まさに聞き届けられました。だから安心して帰りなさい!」と即答しました。
彼女はこの時、イエス・キリストに対して、例えば「先生、娘の所に来て下さって、直接手を置いて祈って戴けますか?」などと、更に訴え出ることはありませんでした。イエス・キリストの「御声(サウンド)」、即ち「安心して帰りなさい!」のご命令を、素直に受け留めたのです。「神は必ずその通りに自ら行う(完成させる)」ことを信じて。
然り!イエス・キリストが応えられる時、そこには必ず神の「救い(贖い)」が、神の「事実」として現われ出ます。聖書は明確に、神の御言葉が「事実(神の御業)」を起こす(成就させる)ことを、如実に記録しています。即ち神の発するサウンドと、私たちの信仰の「叫び(サウンド)」が、聖霊様の執り成しによって、一致(融合)する時に「必ずその通りに成る!」ということを。と言うことは、あなた(私)の信仰の「叫び(サウンド)」は、既に主なる神の御耳に届いて、聖霊様の働きを通して「必ず成就する!」のです。
そういう意味で、私たちの「祈り(信仰のサウンド)」は、今の「終わりの時」に臨んで、使徒パウロが宣言したように、「イエス・キリストを信じなさい。そうすれば、あなたは必ず救い出されます。そればかりか、あなたの信仰の叫びによって、今度はあなたの家族全員が、神の救いにあずかることが出来ます!だから安心しなさい。」と、イエス・キリストの「命の言葉」として、大胆に発する(証言する)ことになるのです。
しかし覚えて下さい!悪魔サタンは私たちに対して、常に「偽りのサウンド」をもって、私たちを「肉の次元」に貶めるべく、様々に「偽物の取引(駆け引き)」を行います。「こっち(エジプト)に行け(帰れ)ば、あなたの望み通りの幸せが得られますよ!」などと。しかしイスラエルの民は、エジプト(この世)を脱出するに当たり、主なる神が命じられた通りに、全員が各自の家の鴨居に、小羊の「生贄」の血潮を塗りました。その結果、彼らは神の「救い(贖い)」にあずかることが出来たのです。
それ故に、私たちもイエス・キリストの御名を信じて、カナン(新しい天と地)へと踏み出した以上、助け主聖霊様と共に、大胆に船出して行きましょう。あなたが更にイエス・キリストに対して、信仰の「叫び(サウンド)」を発しながら、聖霊様と共に「キリストの証人」の働きに、力強く召し出されて参りますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2025年4月6日のメッセ-ジ)
☆バルナバ・ブログ福音薬局
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