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Terminal Sound(No.6)

K・バルナバ

     全てを覆い包む真実のサウンド

 

 

 

主の栄光がシナイ山の上に留まり、雲は六日の間、山を覆っていた。七日目に、主は雲の中からモーセに呼びかけられた。主の栄光はイスラエルの人々の目には、山の頂で燃える火のように見えた。モーセは雲の中に入って行き・・・・四十日四十夜山に居た。主はモーセに仰せになった。「・・・・私のもとに献納物を持って来させ・・・・彼らが各々進んで心から捧げる私への献納物を受け取りなさい。・・・・献納物は以下の通りである。金、銀・・・・灯火の為の油・・・・聖なる油・・・・種々の香料・・・・その他の宝石類である。私の為の聖なる所(幕屋)を彼らに造らせなさい。私は彼らの中に住むであろう。私が示す造り方に正しく従って、幕屋とその全ての祭具を造りなさい。
          【出エジプト記2416節~25章9節

 

「八方塞がり」にあっても・・・・

 私たちは「霊」の領域においては、神の「救い(贖い)」を仰いで、御子イエス・キリストを、信仰の土台として据えていますが、精神的及び感情的な面で、即ち「魂」の領域において、祈ることは出来ていても、霊的根底(信仰の基礎)がぐらつくことがあります。「その時」に殆どの場合、聖霊様の介入はありません。どちらかと言えば、黙って静観しておられます。

 

 しかし覚えて下さい!黙っているからと言って、主なる神が私たちのことを見放したり、見捨てたりしている訳ではありません。実は私たちの「魂」の領域の中に、「雲」の如くに優しく臨んで下さり、本来立ち返るべき「聖なる領域」へと、暖かく導いて下さっています。

 

 さて、あなたは精神的に「八方塞がり」という、最悪の状況下に陥った時、如何なる行動(思考も含む)を取りますか?ある者は「精神的に追い込まれ、ただあるのは暗闇の如き中にあって、誰からの助言・慰めも心に響かない。しかし上(天)だけは開いている事に気付き、その時私はイエス・キリストの死を、帯びている事が分かった。また愛する主イエス・キリストは、私のことを大事な小羊として、いつも懐に抱いている!そのイメージを見せられた。そして暫くしたら、私は塞がった状態から天に引き上げられた!」という、学びの体験を戴いたり、またある者は「(解放される)時が来るのを、只ひたすら待つだけ。何をしても上手く行かないから、尚更晴れているようには見えない、上空の天だけを仰いで、じっと静かに、開かれるその時を待つ。」という貴重な体験に導かれます。

 

 覚えて戴きたいことは、主なる神は「試練」と同時に、必ず「脱出の道」を備えて下さいます。その唯一の道が、全ての「贖い主」、イエス・キリストにつながる「天上」と言えます。その際主なる神は、私たちが「唯一の道」に突き進むよう、激しいサウンドを発せられることがあります。その内容は、厳しい命令(指示)ではありませんが、進むべき方向性は同一の方向、即ち「天上」になります。

 

「雲」に覆われる時

 今回の記事に見られる、モーセが登頂したシナイ山において、六日間に渡って「雲」が覆った現象は、高山に見られる一般的な「雷雲」ではありません。それは山全体を優しく包む、神の「臨在」の象徴です。山の麓から見ていたイスラエルの民にとって、それは「火」が燃えているかの如き、強烈な印章を覚える様でした。実際には、大規模な山火事現象ではなく、創造主なる神の「栄光」の顕在でした。

 

 モーセは、約一か月半に渡るシナイ山において、一体何をしていたのでしょうか?前述したように、山全体が「雲」に覆われている為、それはある面「八方塞がり」の状態と言えます。「肉の力」では、何処にも進めない状態にある時、それが神の「栄光」の臨在に、全てが包まれて(満ち溢れて)いる時です。

 

 人間の「肉の声(サウンド)」は、その殆どが魂(精神)的なものです。ある面、様々な方法(方向性)をもって、然り八通りの方法(方向性)で、突き進もう(前進しよう)と考えています。しかし如何せん、一つのトラブル(障害物)が立ちはだかっただけで、その八通りの方法(方向性)は全て瓦解します。

 

 にも関わらず、私たちが精神的に追い込まれ、自滅しないのは何故でしょうか?それは「霊」の領域から発せられる、神のサウンドを記憶しているからです。然り!ひたすら忍耐しながら、「神の時」を待つことで得られる、神の「唯一の道(脱出方法)」を、「霊」が呻き(祈り)求めているからです。

 

 モーセは「雲」の中で、じっと待ち続けました。「私ではなく主よ、あなたが示して下さる、唯一の道を求めます!」と祈りながら。彼は何もしないように見えても、いつしか自分が「雲」の中で、実は神によって取扱われている(金のように研磨されている)ことを、確信することが出来ました。そして遂に主なる神は、ご自身のサウンドをもって、モーセに対して直接呼びかけたのです。「今から語る私の声を、民の中に届けなさい!」と。

 

 モーセを包んだこの「雲」の覆いは、天上から優しく臨む神の「栄光」ですから、たとえ長時間に渡ったとしても、常に「主よ、どうぞこの私を、御元へとお導き下さい!死ではなく、永遠の命を与えて下さる、あなたの御心に期待します。」と祈る、聖なる「神の時」となります。

 

神の目標(御心)に立ち返る

 結論になりますが、この時モーセに示した、真実の神の最終目標は、如何なるものだったのでしょうか?人は目標を見失った時、精神的に落ち込みます。その目標が、あくまで個人的な「人の望み」に過ぎないからです。では私たちを含めて、モーセが示された「神の目標」とは、一体何なのか?これを正しく知る必要があります。

 

 ご存知のように、イスラエルの民にとっても、私たちにとっても、金銀などの財産は、生きていく上での、貴重な生活資金源(経済的基盤)です。主なる神は、そのことをご存知の上で、強制的に献納するようには命じていません。では真実の神は、あなたに対して何を要求しているのか?それは「真実のあなた」、即ちあなた自身の全てです。

 

 ところが捧げる側の私たちが抱く、「世的次元」と「御国の次元」の両方を天秤にかけて、「人の目標」も大事、「神の目標」も大事という、二股かける(両方の主人に仕える)生き方を、真実の神は忌み嫌われます。ですから、私たちが信仰を働かせて、「人の目標」の全てを、真実の神に捧げ切る時に、それらが神の幕屋の建材として用いられる、即ち霊的な「神の宮」が、「霊」の中に打ち立てられる!この最大の神の御心が、あなたの目標に切り替わって行くのです。

 

 そうすれば、イスラエルの民が万軍の主なる神と、共に(幕屋を中心に据えて)前進する如くに、真実の神は必ず、天を見上げて信仰を働かせる、あなたと共に(先となって)前進して下さいます!主なる神が、私たちの「霊」の只中に、ご自身の住まい(聖なる宮)を、豊かに打ち立てられる以上、私たちは何を為すべきでしょうか?答えは簡単です。「主よ、あなたが私の生きる目標です!」と、いつも信仰告白するだけ良いのです。

 

 カナン征服の後、レビ人だけが嗣業の土地を、割り振られませんでした。それは「主なる神ご自身が、彼らにとって嗣業の地」だったからです。然り!彼らの生きる目標自体が、真実の神との生計一体に他なりません。あなたにとって、生きるのも死ぬのも、その全ての目標が「主なる神」でしょうか?あなたは決して「八方塞がり」ではありません!天は常に開かれています。

 

 「終わりの時」に臨み、天上から万軍の主は、大いなるサウンド(御声)を発しておられます。「私の愛する日本の民よ、私主は、あなた方を常に養い、丹念に育て上げ、私の偉大なる栄光を現わす国民とすべく、名をもって呼んだ神である。私こそが主であることを、常に覚えて前進しなさい!」と。

 

 主イエス・キリストの豊かな祝福と、真実の神の麗しい御声が、祈り求めるあなたの全てに渡って、聖霊様を通して満ち溢れる程に、天上から降り注がれますよう、イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2025216日のメッセ-ジ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 


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