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急患診療(No.13)

K・バルナバ

※この記事は、2009年9月30日に行われた、故人(義父)の告別式でのメッセージを要約したものです。



                   人生という名のくびき



疲れた者、重荷を負う者は、誰でも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。私は柔和で謙遜な者だから、私のくびきを負い、私に学びなさい。そうすれば、あなた方は安らぎを得られる。
                                                                                             【マタイ福音書11章28~29節】


「くびき職人」であったヨセフ
 この御言葉は非常にシンプル、かつ明瞭な神の「命の言葉」です。当時のイスラエル人は、ローマ帝国の統治下にあって、民族的に一方的に隷属化され、様々な重税に苦しんでいた状況下の中で、イエス・キリストが神の国の「福音」を、彼らに対して分り易く、メッセージとして投げかけたものです。


 ご存知のようにイエス・キリストは、大工であるヨセフの「子」として成長しました。ヨセフが、如何なる種類の大工職人であったのか、正確に物語る記述は聖書にはありませんが、恐らく「くびき」という、特殊な木製の農耕器具を製作する、加工大工であったと言われています。そしてイエス・キリストも、この父親との仕事における関わりの中で、「くびき」というものが、重い荷車を運んだり、荒れた畑地を耕す上で、重要な役割を担っていることを、詳細に学んでいったものと思われます。


 仮に、この「くびき」という便利な道具が無ければ、実は牛や馬などは重い荷車を引いたり、硬い土壌を耕すことが出来なくなります。その為「くびき職人」は、様々に「知恵」を働かせながら、各々の牛(馬)の肩幅にフィットし、重荷を負担無く引くことの出来る形状(デザイン)を、幾度も実際に引かせながら、綿密に調整して製作します。


 イエス・キリストは、「くびき職人」であったヨセフとの共同作業の経緯から、「人生」というものが「くびき」の如くに、何らかの作用を受けながら進んでいることを悟りました。男性の方々はご存知のように、「人生」に関して幼少の頃は分からなかったことが、成人し結婚して「家族」を持つことで、少しずつ分かるようになります。しかし、ある程度の「人生」の幸福の時を過ごし、そして老齢期を迎えたとしても、人生の最後の「その時」まで、「家族」のことを慮(おもんばか)るなど、何となく「重荷(重責)」を背負っているかの如き人生ではないでしょうか!


 勿論、女性の方々も同様です。女性は「子」を産むということで、自分の腹を痛めた「我が子」が、やはり自分と同様の「苦労」だけはして欲しくない、また背負って欲しくない!と思う程、まさしく「くびき」というものを、常に考えながら生きていると言えます。「家長」の立場にある者は、特に人生の「くびき」を、いつも真剣に考えながら生きています。


 「人生」という長い道のりの中で、人は何らかの重荷を背負い続け、大変な苦労を強いられることで、ある時は「一呼吸(一服の時)」を得たい!と、自然に欲するのではないでしょうか?その「休み場」が、例えば「家族(家庭)」であり、また各自が「人生」の中で築き上げてきた、その「意義(使命感)」を意識する時です。


故人の「人生」の転機
 ある面で「人生」は、常に労働に勤しみ(明け暮れ)、「何か」の為に重荷を負うような生き方です。故人は、45歳の「新生の時(救われた時)」に至るまでは、一般的に見るならば、非常に過酷な人生でした。幼少の頃に母が他界し、父や兄姉に育てられ成人しました。その後に、例えば幸せな結婚生活に突入するのであれば、幼少の頃に被った「苦しみ(悲しみ)」は報われるのでしょうが、実際は貧しき○○家に婿養子として結婚し、○○家を建て直して行くという、本人の思いとは懸け離れた次元の中で、「重荷(責任)」を負わされることになったのです。その為故人は、とにかく働いて働いて、「家計」をきりもりする「姑(故人の義母)」に、毎月「給料」の全てを渡しました。そうです!故人の「人生」は、まさしく働き蟻の如き人生でした。


 ところが40歳を迎える頃、突然自分の「末娘(私の妻)」が、「耶蘇(キリスト教)」を信じたことから、今までの自分の「人生」の歯車を、全て狂わせることになりました。たった二人の「娘」たちが、次々と「キリスト教」に改宗したことで、自分の信じてきた「神(浄土真宗の仏様)」、また「当て」にしていたもの、娘たちに期待していたものが、自分の描いていたこととは全く違った、別の次元の中で進んでいく、まるでそれは「夢」でも見ているかの如くに、「何か」に導かれながら生きているのでは!?・・・・、などと思った「その時」に、数年間「耶蘇」に抵抗していた生き方から解放され、いとも簡単にキリスト教に「入信」し、「洗礼」もスムーズ(迅速)に受けたそうです。


「新しい人生」の輝き
 「新しい人生」を、イエス・キリストによって与えられた45歳以降、故人は如何なる「人生」を過ごしたのでしょうか?「何か」、急に体力が倍増して馬力が出てきたり、仕事上の「給料」がアップした訳でもありません。むしろ彼は精神的に気が楽になり、益々「気さく(素朴)」な人柄に磨きがかかるなど、彼の「人生」に新しい輝きが出て来たのです。その「輝き」とは、イエス・キリストを信じることにおいて、最初に生じてきたものです。それまでの彼は、「自分が家長だから、一生懸命に働いて頑張る!」と言い張る、頑固な「一面(無理した輝き)」だけが映る人生。


 しかし、イエス・キリストを信じることで、彼はそのような「重荷」から解放されて、「イエス様がおられる限り、心配しなくても、どうにかなる(任せておいたらよい)!」と思うようになるなど、「誰か」に自分の人生を明け渡す(委ねて行く)生き方に変わったのです。これがまさしく、イエス・キリストが今回の御言葉を通して、あなたにも語りかけているメッセージです。「あなたの人生において、かたくなに抱えている重荷を、私に全て返し(委ね)なさい!私があなたの人生の全てを、責任を持って背負って上げるから、あなたは私の中で、休み場(一服の時)」を戴きなさい!」と。


 この御言葉を素直に受け入れますと、自然と「霊(心)」にゆとりが生じて来ますので、今まで怒ってイライラしていたこと、誰か他の者に当り散らしていた次元から解き放たれ、次第に「幼子」の如き、柔らかな人生の「輝き」が生じてきたのです。そして、最終的にイエス・キリストに、自分の「人生」の全てを委ね切ることで、故人が分からなかった「人生」の計画(意義)が、一体何処にあるのかを、新たに捜し求めるようになりました。それまでの彼は、家長として「家」を存続するために、あらゆる「労」と「努力」を人生の中に投入します。つまり「家」を子々孫々絶やすことなく、ずっと守り受け継いでいく、これが「家長」にとって、最大の「くびき」だからです。


 ところが、父なる神の「ご計画」の中で、人の「くぴき」ではなく、父なる神の「導き」によって、故人の思い描いていた「家」の再興というイメージが、ものの見事に一掃され、キリストにある「新しい家」、つまり「神の宮(エクレシア)」が近江(滋賀の長浜)の地に建つ(立つ)!という、神からのイメージに変えられたのです!そして、この神からのイメージ(啓示)は、今からちょうど五年前(2004年)の秋に、私たちの教会の「献堂」というプロセスをもって、遂に実現したのです。これが、故人の「新しい人生」の中間地点(人生の頂上部分)でした。


人生の「けじめの時」
 その後故人は、人生の「けじめの時」を、神の「ご計画」の中で用意され、そして完成に至ることになります。それは2005年から始まることになるのですが、本人は自分の身に何が起きているのか、全く知りませんでした。何故なら、医者が本人には絶対告知することの無い、「前立腺癌」の病いにあったからです。


 医者は、本人の「体力」を考慮しながら、抗がん剤の投入治療ではなく、ホルモン剤の投入による延命治療処置を施しました。当然薬物治療ですから、副作用によって他の臓器に悪影響をもたらします。確かに、「前立腺」内部の癌細胞は消滅しましたが、機能的に低下した他の器官へと、「癌」は転移したのです。


 「癌」の発見から二年経った頃、突然故人は心臓発作を併発し、緊急入院を度々繰り返す事態に陥りました。その間本人は、入院時は生命の危険を冒す程の事態ということで、非常に苦しい体験をするのですが、退院時には再び体力が回復し、ケロッ!とした顔付きで帰宅します。


 そして2009年の8月下旬、最後の緊急入院の時を迎えました。9月中旬頃になり、私たち家族は「もう、そろそろかな・・・・?」などと、「その時」のために心備えはするのですが、「何とか、未だ生きていて欲しい!」と必死に祈りました。しかし故人が召天する一週間前(2009年9月20日頃)、本人が意識を失う程の、今までに無い「苦しみ(一時的な危篤)」の状態に突入し、医者は遂に「もはや、本人の(体力の)限界が来ている。もう、もたないだろう。一応準備しておくように!」と、私たちに宣告しました。その間の本人の症状は、衰弱した体内から大量の血液が、尿に混じって下血し続けるという、絶望的なな状態にありました。


 私たちは必死になって、主なる神の「癒し」を求めて祈り、少しずつではありましたが、血液混じりの「尿色」が薄くなり、9月26日(土)頃にはきれいな尿色に回復したのです。そして、何と主日(9月27日)には本人の意識が戻り、健康な時と何ら変わり無い程の、元気さ(体力も含む)を取り戻し、病院内の公衆電話から家族に電話をかけたのです。「サバ鮨が食べたいから、買ってきておくれ!」と。つまりその伝言は、本人の一番好きな「食べ物」の注文だったのです。


 それまでは、点滴投薬による栄養補給といううことで、全く「食べ物」が喉を通ることも無く、仮に少しでも「食べ物」を口に入れますと、逆に嘔吐する状態だったにも関らず、その後家族が買ってきた「サバ鮨」を、まるで子供の如くに美味しそうに頬張り、全部たいらげてしまったのです。その時の様子を、私は見ていませんので、何とも表現しにくいのですが、召天する前日の主日(9月27日)というこの「一日」は、赤子が素直な笑顔をもって、母親に抱きつきながら甘える時のように、本人は一日中ケラケラと笑い続ける、そんな「素晴らしい時」でした。そして、訪問する見舞い客全員に対して、元気な頃と同様の明るい応対(接し方)で、団欒(交わり)の時を持つことが出来たのです。


 そして、翌日の月曜日(9月28日)になり、副作用から発病した肺炎が急に悪化し、本人は意識もうろうとする中で、この世における最後の時(危篤状態)を迎えることになります。午後三時になる直前に、私の妻が「イエス様がいるから、大丈夫よ!」と、一声かけた瞬間、それまで何の反応も示さなかったのですが、故人はこの時「最後の声」を発したのです。それは幼子の如き素直な返事、「うん!」という一言でした。そしその言葉を発すると同時に、遂に故人は静かに息を引き取り、天国へと旅立って行きました。それは、午後三時ちょうどの時刻でした。


イエス・キリストの「くびき」を負う
 これが、故人の人生の「けじめの時」でした。故人の人生の始まりから三分の二の期間は、いわゆる「苦しみ」と「悲しみ」が、常にまとわり付くかに見える、「重荷」だらけの人生でした。しかしイエス・キリストを信じてから、残りの三分の一の人生においては、それまでの「重荷」から解放された、気楽(平安)な人生を過ごすことが出来ました。


 故人としては、人生の最後の時に至るまで、「苦しみ」が全く無くなった訳でもありません。しかし、本人の「苦しみ」の全てを代わりに担い、必ず本人に人生の「一服(安らぎ)の時」を、折に適って与えて下さったイエス・キリストに、自分の「人生」の全てを委ね切ることが出来たことで、故人は「私の人生はこれで、いよいよ終わりの時かな?」と思った時にも、「イエス様が待っておられる、私の本当の故郷(天国)に、私は今から安心して旅立つことが出来る!」という、幼子が母親に抱く純粋な願いの如くに、故人は「平安」の中で旅立ったのではないでしょうか!


 私は故人の臨終の瞬間には、立ち会うことが出来なかったのですが、後で臨終に立ち会った妻から、故人の最後の様子を伝え聞きました。まるで、それは残された家族に対して、「お父さんは、今から出かけてくるからな!」と、決して「別れの時」を惜しむなどの、悲しい雰囲気ではなかったそうです。そして私は、故人の「ご遺体(亡き骸)」が我が家に帰って来て、本人の「顔」を拝した時、「まさしく本当だ!」と思わされる程、その「顔付き」が余りにも安らか過ぎたのです。「人生」の最後の瞬間にも、故人は「苦痛」の表情ではなく、自分の母親が待つ「故郷」に帰るが如くに、安らかな幼子の顔で旅立って行ったことに、私たち家族はどれ程慰められたことでしょう!


 人生という名の「くびき」を、本当に責任をもって担って下さる方、即ちイエス・キリストに出会い、このお方に自分の「人生」の全てを、委ね切ることが出来た故人の生き様は、本当に幸いなものであったと確信しています。故人の「霊」は、今はもう「この世」に存在しません。しかし故人は「御国」において、皆様方の「人生」の一つ一つを、あの気さく(素朴)な笑顔をもって見つめながら、次のように質問しているのではないでしょうか?「お前さんは、人生のけじめを付けたかい?私(わし)は、ちゃんと全うしたぞ!」と。自分の「人生」という重荷(人のくびき)ではなく、真の救い主イエス・キリストの、負いやすい「くびき(平安)」を、あなたも是非受け取る「恵み」にあずかりますよう、主イエス・キリストの御名によって、祝福してお祈りします。アーメン!


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