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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

イースター・メッセージ

新たに始まる「希望の光」




しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。その時、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け・・・・
さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石を脇へ転がし、その上に座ったのである。

                           【マタイ福音書27章50~51節,28章1~2節】


二つの「神の事実」
 今回の記事には、二つの重要な「神の事実(しるし)」が記されています。第一の「事実(しるし)」は、エルサレム神殿内にある至聖所の「垂れ幕」が、上から下まで真っ二つに裂けたことです。それと同時に起こった第二の「事実(しるし)」は、大きな岩石を裂く程の巨大地震が、突如として起きたことです。


 神殿の出来事は、神殿内にて従事する関係者(祭司、祭儀庶務役等)しか知りません。巨大地震に関しては、エルサレムに駐留するローマ軍、及びエルサレムの全住民が体験したことですが、非常に重要なポイントが、この二つの「神の事実」にあります。今に生きる私たちキリスト者に、この二つの事実が、どのように繋がっているかを考えてみた時に、神の偉大なる「事実」が、今も尚継続していることが分かります。


 先ず、神殿の「垂れ幕」が裂かれたことを通して、主なる神と私たちの間にある、「隔ての壁」が完全に無くなりました。そのことにより、自由に「聖所」と「至聖所」間を行き来する、つまり神との「交わり」が可能になりました。それと同時に「垂れ幕」の覆いが無くなることで、天上から新たな「光」が差し込むことになりました。そうです!今に生きる私たちが、自由かつ大胆に、聖霊様の「導き」により、主なる神と親しく交わることが出来るのは、まさしくイエス・キリストが、十字架上にて息を引き取った、午後三時という、神の定めた時刻からです。


 話は変わりますが、「太陽の光」は本当にありがたいものです。特に北国の人々にとって、長い冬の期間「雪雲」に覆われ、太陽光の差し込む時間が、とても短い生活を強いられる訳ですから、「太陽の光」は非常に貴い存在になります。やはり人は、太陽の「温かみ」を求めるなど、太陽の光を通して、様々な「恵み」を戴いています。


 しかし「太陽の光」は、有限的なものであると頭で理解していても、それを当たり前のものと思っている故に、これは「ずっと続くもの!」としか、人は捉えていません。何故でしょうか?「太陽の光」のリズムに、何ら変化がない!と錯覚しているからです。即ち「朝に日が昇り、夕暮れに日が沈む!」という、自然のリズムを信じているからです。しかしそれが途絶える!としたら、全ての人々が心騒がせ、暗闇の「不安」に覆われることでしょう。そして恐れ始めます。今までの「恵み」が無くなる!と。


 このように「太陽の光」の恵みは、①変わらずにエネルギーを放出し、②全ての生き物に活力を与えるものです。この変わらざる「恵み」が、仮に「ある時」から途絶えるとしたら、途端に「不安」が増大し、別の「恵み」を求めて動き始めますが、大抵の人は「恐れ」に負けてしまいます。「太陽の光」は、永遠に続くものではありません。神が定めた「太陽の光」が、光り輝くというリズムの中で、私たちに「恵み」をもたらすことで、私たちは安心して暮らすことができるのです。


「隔ての壁」が打ち壊される時
 ご存じのように、最初の人(アダムとエバ)は、神の偉大なる「恵み」に、無代価であずかっていたにも関わらず、神との親しい「交わり」から背を向けました。これが全ての「罪」の始まりです。しかしイエス・キリストの「十字架」の死は、古い「契約」の儀式を全面的に破壊し、一頭の小羊のみの「死(贖い)」を通して、再び神との「交わり」を再開したのです。


 そうです!イエス・キリストの「死」と同時に、「隔ての壁」を象徴する神殿の「垂れ幕」は、もはや不要のものになりました。そして「その時」から、神との真実の「交わり(礼拝)」が始まりました。イエス・キリストの「死」が無ければ、私たちは「今の時」に、安心して「信仰」を守り通すことも、神との親しい「交わり」の中に入ることも、聖霊様の「恵み」を受けることも出来ません。ですから、物凄い偉大なる「神の事実」が、イエス・キリストの「死」を通して始まっているのです。


 次に、イエス・キリストの「死」と同時に起きた、巨大な地震について考えてみて下さい!今日、小規模から大規模に至る、様々な地震が世界各地で頻発しています。しかし、巨大地震は昔も起きています。実は主なる神が、偉大なる「計画」を進める際に、必ずこの現象が同時に起きています。そうです!神の意図する「ご計画」が、次の「新しい段階」に突入する際に、大地が「呻き」を伴って震えます。「その時」、即ち「神の子」が贖われる時を待ちながら。


 この時も起こりました。イエス・キリストが「命」を引き取られた瞬間に、巨大地震が起きたのです。その「現れ」は、単に人間が造った様々な建造物を、粉々に破壊することが目的ではなく、「大きな岩」を裂くことで、信じ難き不思議なる現象(死者の復活)を、多くの人々に見せる為でした。イエス・キリストの「死」を通して、父なる神が起こした二つの「現象」により、先ず①神の見えざる霊的な光が「真実の光」として、神殿から外界(世界中)に向けて解き放たれました(第一の事実)。


 続いて、②同時に起きた巨大地震により、「大きな岩」が避けた結果、死者が復活しました(第二の事実)。それから60数時間後の、「太陽の光」が差し込む夜明け前に、③父なる神が新たな「真実の光」を、イエス・キリストの「復活」という形で、地震と同時に起こしました(第三の事実)。そして④墓を塞ぐ「大きな石」が、脇へ転がされたかの如くに、地震により移動しました(第四の事実)。そうです!イエス・キリストの「復活」の御業は、如何なる者も、如何なる地上の権力も、妨げることが出来ません。つまり、イエス・キリスト自身が「至聖所」だからです。


 「隔ての壁」が、神の「御力」によって破壊される時、人は如何なる反応を示すのでしょうか?ところで、今日の世界を覆う空気(雰囲気)は、如何なる類(たぐい)のものでしょうか?もう既にお分かりだと思いますが、それは「恐怖」という空気です。しかも単なる「恐れ」ではなく、見えざる「暗闇の権力」や、嘘に凝り固まった「デマ情報」、マスメディアが造り上げる、意図的に操作された様々な映像から、毎日毎日醸し出される、嵐の如き「恐怖」の空気です。


 その結果、多くの人々が信じるもの、それが「恐怖」です。「恐れ」は必ず人と人を隔てる、「霊的な壁」を造り上げます。もし私たちキリスト者が、世の人々と同様に恐れて生きるなら、それは「愚かな乙女」の姿勢と同じです。私たちが準備すべきものは、イエス・キリストの「来臨」に向けて、「喜び」と「熱情」の祈りをもって備えることです。


 「恐れ」「死」「絶望」という、三つの「隔ての壁」によって、世界中の人々が「先」を進めない状況下にあって、私たちキリスト者が「復活」の信仰を戴きながら、如何なる方向に駆り出されて行くのか、これが非常に重要となります。イエス・キリストは、何の為に復活されたのでしょうか?それは再びあなたと、親しい「交わり」を再開するためです!全ての「隔ての壁」が打ち壊され、イエス・キリストと「あなた(私)」との「交わり」を、引き裂くものは何一つありません。


 その結果、永遠に尽きることの無い、希望をもたらす「真実の光」として、イエス・キリストの側から一方的に、逃亡した弟子たち(私たちも含む)の元に訪れて下さったのです。イエス・キリストという「真実の光」は、明確に掴むことの出来る、素晴らしい光です。不可能な領域、即ち「死の壁」を乗り越えた方は、イエス・キリストだけです!私たちが持つべき正しい危機意識、それは「イエス・キリストは間もなく、私たちの元に必ず戻って来て下さる!」ことを、純水に信じて待ち続けることです。


 イエス・キリストは常々、弟子たちに明言していました。「私は必ず(復活して)戻って来る!」と。今生きて働くイエス・キリストは、永遠から永遠へと、新たな「希望の光」をスタートさせた方として、豊かな「至聖所」の交わりを、私たちに惜しみなく与えて下さいます。ですからイエス・キリストが、インマヌエルなる神として、いつも共に居て下さる限り、私たちは如何なるものを、恐れる必要はありません!そして私たちは、「イエス・キリストが間もなく来られる!」故に、良い意味での危機感をもって備えるべきです。


新しい「希望の光」
 私たちには真の「希望」があります。それはイエス・キリストを通して成就した、「復活」の信仰を戴いている!という希望です。「死」「病い」「嘆き」「困難」「恐怖」など、全ての「負」の連鎖を、完全に破壊して下さった方は、唯一の「救い主」イエス・キリストだけです!私たちが大胆に、イエス・キリストの「血潮」を用い、「復活」の信仰を宣言する時に、神の「癒し」の御業が現れ、霊的「束縛」からの完全なる解放が起こります。


もはや、呪われるものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神のしもべ達は神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。もはや、夜は無く、燈火の光も太陽の光も要らない。神である主がしもべ達を照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。
                                     【ヨハネ黙示録22章3~5節】


 ヨハネが預言した上記の御言葉には、今後私たちが歩むべき正しい「道筋」、即ち霊的目標(手順)が記されています。先ず①「真実の光」を新しく始められた方(イエス・キリスト)は、私たちを通して麗しい「神の国」を完成されます。次に②完成される準備段階として、私たちを通して神との「交わり」が回復します。それから③イエス・キリストの再臨に備えて、乙女(エクレシア)たちが共に励まし合い、「恐れ」の霊に縛られた人々を解放すべく、彼女たちが大胆な「信仰」と「勇気」をもって、地の隅々に神の麗しい「福音」を届けます。最終的に彼らは④全ての「恐れ」の縛りを解放し、そして「病いある者よ、イエス・キリストの御名により、完全に健やかになれ!」と、神の「癒し」の御業を拡大して行きます。そして、霊的大収穫が始まるのです。


 是非あなたが、イエス・キリストの「復活」の信仰を戴く勇者として、更に「真実の光」を帯びる者として、イエス・キリストの「復活」の御業を、豊かに推し進めることが出来ますように。聖霊様があなたを、神の「救い」の働きに間に合う、「知恵ある者」として、更に「賢い乙女」へと整えて下さいますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年4月17日のメッセ-ジ)


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