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Good-Shepherd(No.20)

              立ち塞がる巨大な壁




エリコは、イスラエルの人々の攻撃に備えて城門を堅く閉ざしたので、誰も出入りすることは出来なかった。その時、主はヨシュアに言われた。「見よ、私はエリコとその王と勇士達をあなたの手に渡す。・・・・七度目に、祭司が角笛を吹き鳴らすと、ヨシュアは民に命じた。「鬨の声をあげよ。主はあなた達にこの町を与えられた。町とその中にあるものは、ことごとく滅ぼし尽くして主に献げよ。但し遊女ラハブ及び彼女と一緒に家の中に居る者は皆、生かしておきなさい。・・・・。
                                           【ヨシュア記6章1~2,16~17節】


「巨大な壁」は問題ではない!
 私たちの「信仰」、その歩みを阻もうとする様々な難題、例えば「巨大な壁」の如き、大きな問題に遭遇した時、私たちの取るべき信仰姿勢(態度)は、如何なるものであるべきでしょうか?そのヒントは、全て神の「動き」にあります。


 今回の記事の、1節に記された神の「動き」を、私たちは十分に注意しながら、霊的に探る必要があります。「人の事実」としては、エリコの王及び町の住民たちは、敵(イスラエル民族)の攻撃を防御すべく、城壁の各部署にある様々な門を、完全にシャットアウトした訳です。エリコの城下町は、如何なる敵からの攻撃にも耐え得る、鉄壁を誇る城塞都市だったからです。


 このエリコの完全防御策に対して、逆に襲撃側のイスラエルから見て、エリコ全体を陥落すべく、初戦を含めて全ての「戦い」に勝利したい訳ですが、エリコの町を囲む「巨大な壁」の光景を、実際に目にした時、その殆どが「もう、これは無理だ!門自体が、突破することが出来ない構造で、各門の砦には敵兵が常駐し、四六時中監視しているから、とてもじゃないが、早期に勝利を掴むことは不可能だ!」などと捉えました。


 しかし、これは「人の事実」に基づく三次元的判断です。つまり全ての門が、完全に閉ざされた状態を見て、イスラエルの民が「人の事実」に打ち負かされて、前進(進軍)を諦めたり後退すること、これが人の「動き」の特徴です。ヨシュアなどの「信仰者」は、たとえ「人の事実」がどうであれ、「閉ざされたからと言って、神の事実が閉ざされている訳ではない!逆に人の事実としては、閉ざされているように見えても、神の事実としては、それは既に開かれたものとして、更に神の居ます高き次元の中で、神の戦法(戦い方)如何によっては、必ず大いなる勝利がある!」などと捉えます。


 ですから、私たちの「信仰」の歩みが、巨大な壁の如き、様々な「人の事実」によって阻まれたとしても、それは問題が一時的にあるだけで、決して私たちの「歩み」自体が、永遠にストップする訳ではありません!むしろその問題を、神ご自身が取扱われることを通して、その先にある神の次元が、物凄く豊かな神の栄光に富んだ、神の「勝利」として用意されているのです。


信仰の「第一歩」が重要
 それ故に、私たちは1節に記された、「神の事実」を捉えるべく、再度注意深く読み直すべきです!ヨシュアが「城門を堅く閉ざしたので・・・・」と記述した、その「~なので」の言葉にある、敵勢(エリコの住民全体)の「心理状態」を、彼は聖霊様を通して見抜いていました。即ち彼らは、「敵の威力が余りにも強い!だから入って欲しく無い。」などと恐れ、負けない為の戦法として、城門を堅く閉ざすことで乗り切ろう!という弱腰の心理です。


 神は、敵の「動き」の全てを、前もって見ておられ、ヨシュアに知らせたのです。敵が門の全てを堅く閉ざした瞬間(その時)、神は同時にヨシュアに「Goサイン」を出しました。今回の記事に見られる、霊的に重要となる第一ポイント、それは「カナン征服」に伴う、その最初のステップは、如何なるものであるのか?という点です。


 「カナン征服」は、私たちが信仰の「歩み」を、更に進めて行く上での、勝利の「手順」を霊的に示しています。その最初の手順として、今回神が示されたもの、それが「閉ざされた城門」です。カナン征服の「出だしを挫かれる」とも言うべき、今回の巨大な難題に対して、彼らは如何なる「信仰姿勢」を取ったのでしょうか?恐らくヨシュアは、今回の「人の事実」に対する、イスラエルの民の「動揺」に気付いていました。


 しかし「その時(同時)」に為された、神の介入(取扱い)が、非常に素晴らしいものでした。カナン征服の「出だし」となる訳ですから、神ご自身が彼らに対して、気落ちして呟く前から、霊的な配慮をもって、ヨシュアを通じて直々に指示されました。「恐れてはならない。見よ、私主は、エリコの町及び王、役人、兵士、住民の全てを、あなた達の手に渡す!」と。


 つまりイスラエル全体が、神の御言葉に従って出陣する時に、既に勝利はイスラエルの手にある!ことを、神は約束として保証しました。サタンが、私たちに攻撃を仕掛ける理由は、様々にある訳ですが、今回の如き「信仰」の出だしにおいて、物凄い「巨大な壁」が立ち塞がった場合、それにはサタンが私たちに対して、攻撃を仕掛ける明確な理由があります。


 それは逆に、主なる神が私たちに示される、信仰の「第一歩(出だし)」を考えれば、自ずと見えて来る次元です。即ち、私たちが信仰をもって踏み出す、その「第一歩」を働かすことで、「巨大な壁」の裏に存在する敵が、既に完敗することが決まっているからです。そうです!主なる神が勝利し、サタンが完敗することが決定していること、これは非常に重要な「真理」です。それ故に、私たちが信仰の「第一歩」を踏み出すことが、如何に重要なステップ(手順)であるか分かります。


 「神の事実」としては、私たちの「第一歩」を確認すべく、その信仰の「歩み」を後押ししたいのです。私たちが後ずさりしたり、霊的に負けたりすることは、主なる神は「良し!」とはされず、むしろ「悲しみ」となります。故に「巨大な壁(霊的難題)」は、「神の事実」としては、何ら重要ではありません。「巨大な壁」を盾にして、守りに徹する敵兵は僅かであり、しかも彼らは震えて士気が失せているのです。


 私たちの三次元的思考では、「巨大な壁」がある限り、決して前進出来ないのではないか!と捉える傾向にありますが、神ご自身が「全て」を解決して下さる方!と、信仰をもって「第一歩」を踏み出す時に、「神の事実」を確認することが可能になる、即ち全ての敵に勝利できるのです。そうです!私たちは「人の事実」を見るのではなく、その先にある「神の事実」を期待して、一歩ずつ前進して行くこと、これが「カナン征服」に至る信仰の法則です。


 大抵の場合、私たちの前進が挫かれる場合に、「あー、この先には、もう良き事が起こらない!」などの、ネガティブ思考の罠に陥り、サタンの攻撃を様々に受けるなどして、結局は戦う前から敗走したり、挫けて後ずさりします。そして遂には「信仰」そのものが、打ち滅ぼされる可能性もあります。しかし主なる神は、ヨシュアを通してイスラエルの民を、全面的に励まして下さったのと同様に、聖霊様を通して私たちの信仰に働きかけ、勇気を持って一歩踏み出すよう、様々に私たちの為に執り成し、霊的に後押しされます。このことを是非、私たちは信じて前進しましょう!


二つの「勝機の鍵」
 今回の記事の第二の重要ポイント、それは目の前に現れた「現実」を、私たちがどのように見るか?によって、勝敗が決まって来るという点です。その「勝機の鍵」を握るのは、神が示される「信仰法則」に、私たちが聞き従う(霊的に実践する)ことです。「勝機の鍵」というのは、主なる神が「敗北」ではなく、必ず「勝利」を必ず与えて下さるもので、その勝利を掴む「信仰の鍵」のことです。


 ご存知のように「現実」は、あくまで目に見える事象ですから、三次元的事実に過ぎません。即ち人が判断する「人の事実」です。それに対して「神の事実」は、人の目に見えざる次元に存在する為、私たちは捉えることが出来ません。「人の事実」の特徴としては、人の持つ「罪」から生じる判断として、全てをネガティブに捉える傾向にあります。つまり「ネガティブ」をベースにして、物事(事象)の「動き」を捉える(予想する)訳です。


 しかし「神の事実」に生きる信仰者は、たとえ前面に「巨大な壁(マイナス)」が、立ち塞がったとしても、主なる神が「全て」を相働かせて、必ず「益(プラス)」として下さるなど、神の霊的次元の中に、自分自身の肉なる判断(思考)の、全てを明け渡し委ねて行きます。このように「神の事実」を探り求める人は、人の語る「言葉(情報)」や、人の見る三次元的事実に囚われるのではなく、神の「御言葉」と「ご計画」の中に、「神の事実」を確認すべく、信仰の「第一歩」を踏み出します。神の豊かな「事実」が、その先に待っている!と信じているからです。


 今回ヨシュアは、イスラエルの民に「信仰」の手順を示しました。先ずはエリコ全体を囲む「巨大な壁」を、①六日間に渡って毎日、祭司は角笛を吹き、民は「祈り(黙祷)」をもって一周するように!と。そして最終的に、仕上げとして②七日目に全員で城壁を七周し、祭司が角笛を吹き鳴らすのと同時に、民全体で「鬨の声」を上げるように!と。


 最初、イスラエルの民は「?」と思ったことでしょう。しかし指導者ヨシュアは、信仰の模範を示し続けました。その結果イスラエルの民は、神の手順に従い実行しました。そうです!馬鹿げたことように思えますが、単純に「神の事実」を信じて、信仰の第一歩を踏み出した時に、「巨大な壁」はどうなるのでしょうか?


 実は「神の事実」を掴むべく、神の言葉を信じて踏み出す時に、二つの「勝機の鍵」を得ることが出来ます。第一の「勝機の鍵」として、「巨大な壁」が壊れる時に、神は必ず「大きな結果」をもたらして下さる!ことです。「巨大な壁」を破壊する方は、主なる神ご自身ですから、その壁を壊す為の最初の「手順」が、「巨大な壁」を六日間、黙祷しながら周回することでした。そうすれば「巨大な壁」が無くなり、容易に「敵地」に乗り込むことが出来る、その道筋が見えてきます。


 次に第二の「勝機の鍵」として、たかだか「三百人」程度の兵力に過ぎない、彼らを完全に滅ぼし尽くすことは、イスラエルが戦わずとも、既に「神の事実」として現れ出ます。即ち各城門を守る兵士が、全部で「三百人」余りの数に過ぎず、この「巨大な壁」が破壊された瞬間に、その「三百人」の兵士も滅びる!と捉える時に、残存戦力は(もう戦力とも言えませんが)、王を守る近衛兵と役人だけです。つまりその時点で、敵は完全にイスラエルの手に渡される訳です。


 イスラエルの民は、この二つの「勝機の鍵」を受け取りましたが、未だ起きていない事実です。しかし、先にある二つの鍵(見えざる神の事実)を、彼らは信じて受け取りました。これが「信仰」です。「信仰」の第一歩を踏み出す時に、「勝機の鍵」となるものを、私たちは「神の事実」として受け取ることが出来ます!「信仰」とは望んでいる事柄を、見えざる「神の事実」として確認し、私たちが「既に得たもの」として、大胆に行動することです。


 ヨシュアが受け取った、この二つの「勝機の鍵」は、神の絶対的な「事実」、即ち「敵をあなたの手に渡す!」と約束された、主なる神の揺るぎ無き「情報(福音)」であり、彼は信仰でそれを掴み取り、イスラエルの民に対して「神の事実」を分かち合い、七日目に信仰の「叫び(鬨の声)」を上げるように指示しました。


「鬨の声」を上げよ!
 私たちが為すべき「信仰」の歩みは、「神の事実」を受け取るべく、その「一歩」を踏み出し、最終的に「鬨の声」を上げることです!「主なる神は必ず、私たちに勝利を得させることが出来る!立ち塞がる巨大な壁は、決して問題ではない!それは全て神が破壊し尽くし、粉砕することが決まっている!だから私たちは、その先にある素晴らしいゴール、即ち神の勝利の事実を受け取り、一つ一つ確実に勝利しながら前進しよう!」と。


 私たちの住む「現実」は如何でしょうか?様々な三次元的事実が、まるで立ち塞がる「巨大な壁」として、また押し寄せる大波の如くに現れ出ています。しかし私たちは、これを三次元的事実と捉えません。むしろ主なる神が、それらの問題が起きる以前から、私たちに既に勝利を与えるなど、「神の事実」としては大したことでは無く、たかだか「三百人の力」に過ぎません!それよりも私たちは、「神の国」がいよいよ、この地に来らんとする時代にあって、私たちは何を求め、何を求めて第一歩を踏み出すべきでしょうか?


 私たちは日々「神の時」を待ち望み、「鬨の声」を上げましょう!「主イエスよ、今来て下さい!この今の事実を完全に破壊し、そしてあなたが栄光ある、王の王として君臨される、その時を私たちは待ち望んでいます!あなたが既に、十字架上で勝利を勝ち取られた方であることを、私たちは信じて一歩一歩踏み行きます。その踏み行く敵地を、あなたの豊かな地へと造り変えて下さい!」と。


 私たちは、絶えず信仰をもって、勝利の宣言を発して行きましょう!そして祈り続けましょう!そして多くの民を、キリストの福音をもって励まして行きましょう!「神の時」が、いよいよ来りつつあります。主イエス・キリストの豊かな「守り」と「導き」が、そして父なる神の大いなる事実が、私たちの住む地上に現れ出ますように!そして聖霊様を通して、私たちが神の豊かな次元へと、更に召し出され導かれながら、毎瞬毎瞬神の大いなる勝利を、信仰で手にすることが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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