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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

神のご計画(Special)

     Happy Birthday、エクレシア!




あなた達はイスラエルの人々を祝福して、次のように言いなさい。「主があなたを祝福し、あなたを守られるように。主が御顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜るように。彼らが私の名をイスラエルの人々の上に置く時、私は彼らを祝福するであろう。」
                                                    【民数記6章23~27節】


「ペンテコステ」という歴史的節目
 今日(2021/5/23)は、エクレシアが霊的な産声を上げてから、約1988年の年月を経た、記念すべき「ペンテコステの日」です。そうです!私たちキリスト者が①何のために召し出されて行くのか、②今後も如何なる有様(似姿)で成長し、かつ聖められ整えられて行くのか、③イエス・キリストの再臨の時に、如何なる再会の時が用意されているのか、この三点を再確認する日が、ペンテコステの時です。


 聖霊様は私たちを、この遠大なる神の「ご計画」の中で、まるでタイム・トラベルの如き「旅路」を、ご自身の打ち立てられた「ペンテコステ」の時に、明確に示して下さいます。確かに私たちの人生は、たかが80~90年前後の短い旅程ですが、それでも霊的には2000年に渡る、エクレシアの成長年数から見れば、重要な「一時期」となっている!この点を見過ごしてはなりません。


 今回の神の御言葉には、私たちが如何なる罪人であっても、神は私たちを尚も愛し続け、かつ聖めて下さり、最終的には完成へと導くべく、常に御顔を向けて下さることが記されています。また神が御顔を向けられる際には、必ず①恵みと②平安を、惜しみなく与えて下さり、神の祝福の領域に至らせて下さいます。その為には、私たち自身も神に対して、真摯に自らの顔を向けるなど、霊的けじめ(真摯な信仰姿勢)が要求されます。


 イエス・キリストが復活されてから、五十日を経た日が「ペンテコステ(五旬節)」で、ユダヤ人の祭りとしては、シャブオットと呼ばれる日です。では、この「ペンテコステ」の時に、一体何が起きたのでしょうか?これが今回重要となる第一のポイントです。


 私たちは確かにイエス・キリストの、贖いの御業である十字架の「救い」、そして死からの「復活」を信じて、自分の「救い主」と告白しました。そして聖霊様による、「水」と「火」の洗礼を受けながら、今日まで成長してきました。しかし聖霊様は、私たちが次の霊的段階(成長の時)に至るよう、盛んに促していることを、私たちは知る必要があります。


 「五旬節」のこの日、隠れ部屋にて祈り続ける彼ら(弟子たち)の上に、突然天上から「舌」のような炎が、一人一人の頭上に降臨しました。すると彼らは、今まで経験したことの無い、ダイナミックな力に満たされて、シャブオット祭で賑わう、大群衆の前に出て行き、大胆に神の言葉を語りました。すると「ある事」が起きたのです。これは私たちにも起きることです。私たちは「今の時」が、如何なる時代の中にあっても、如何なる事が起きたとしても、聖霊様が私たちと共に働かれる限り、この時(五旬節)と同じ素晴らしい出来事が、私たちの信仰行動を通して必ず起きること!これを是非信じて下さい。


エクレシアの成長日記
 さてエクレシアという名の一人の赤子(女子)が、ようやく20歳の乙女として成長し、いよいよ「婚礼の時」に向けて、様々に整えられるつつある今日ですが、この女の子は生まれてから、真の保護者(聖霊様)のもと、三歳頃まで飛躍的に成長しました。ところが養父母(ローマ・カトリック家)に引き取られてからは、15歳まで監視生活に縛られることになります。その間彼女は、三歳までの自由闊達な生き方が出来なくなり、その成長力は失せて行くばかりとなります。


 ところが15歳になった時、突然ルターという名の信仰(解放)者が現れ、彼女を救出する「手立て(プロテスタント)」を整え、彼女は奇跡的に脱出することが出来ました。新しい信仰を得た彼女は、それから一人立ちして行く訳ですが、その道のりは決して安易なものではなく、時々ローマ・カトリック家からの、様々な嫌がらせを受ける等、ボロボロに痩せこけた、コゼット(レ・ミゼラブルに登場する少女)の如き様にまで、彼女の心身は痛め付けられます。しかしその間、毎年の如くに真の保護者が訪れ、倒れ崩れる彼女を抱きかかえ、完全に快復するまで看病するなど、その手厚いケアのお陰で、彼女は遂に「乙女」として自立し、今の時に至っています。


 このように主なる神は、こ自身の選んだ乙女(エクレシア)を、ねんごろに愛して守り、全ての面で真の「自由」を与え、様々に練り聖めて下さっている訳ですが、聖霊様の場合は尚更、この乙女が「賢い花嫁」になるのか、それとも「愚か(怠惰)な女性」に成り下がるのか、この一点に警戒しながら、霊的な支援の手を差し伸べておられます。


ペンテコステに起きた「事実(出来事)」
 覚えて戴きたい「ペンテコステ(エクレシアの誕生日)」の事実は、霊的に赤子に過ぎない彼らの信仰に、聖霊様が天からの「力」が、等しく全員に降り注がれると、かれらは一斉に「新しい言葉」を語り始め、「隠れ家」から飛び出して、神の国の「福音」を大胆に宣べ伝えます。すると集まっていた群衆の中から、次々と悔い改めの叫びが起こり始め、何と一日だけで「三千人」の人々が回心し、キリスト者の群れ(エクレシア)に加わったのです。これが「ペンテコステ」の日に起きた、主なる神が彼らに用意した、圧倒的な「天の祝福」です。


 ところで、主なる神の圧倒的な「天の恵み」は、いつの時代にも天から降り注がれている訳ですが、「シナイ山」においてモーセが祈り求めた時にも、神は自らの「掟」と「法」を、「十戒」という形で石板に記して下さいました。しかしモーセが不在中、イスラエルの人々は、果たして何をしていたのでしょうか?


 彼らは、人間的な「群れの形(在り方)」を求めて、偽りの神(金の雄牛)を造り、それに跪いて礼拝を捧げたのです。これは乙女エクレシアが、後々人間的な「群れの形(在り方)」に組み込まれ、ローマ・カトリックとていう巨大な「宗教」に、完全に束縛されたことと同じ流れです。金の雄牛を拝んだ結果、この日に何と「三千人」の人々が、聖霊の「裁きの火」によって滅んだのです。


 私たちの「人体」でさえ、アダム(エバ)の犯した「罪」故に、人間的な「エゴ」を優先して、人体に対する過度な負荷を強いますと、いずれは様々な「痛み(物理的呻き)」がサインとして現れ出ます。「サイン」が出た場合に、これは神に対する「悔い改め」の時です。この神の「恵み」の配慮を無視しますと、人体の更なる悪化を招き、遂には回復不可能な「損傷(障害)」を被ることになります。


 霊的な神の御体である、「エクレシア」も同様です。「今の時」にこの乙女が、聖霊様の「とりなし」により、実は盛んに「呻き」苦しんでいることを、私たちは知る必要があります。サタンは「エクレシア」を、自らの配下に(奴隷として)置くべく、「愚か(怠惰)な女性」に仕立てようとします。その為に昨年(2020年)から、感染防止という名目(タテマエ)の下、真のキリスト者の群れ(エクレシア)が、礼拝に集まることを、サタン勢力に連なる指導者が禁じました。これは乙女の「命の息」を止めるような仕打ちです。


 またサタンは、イエス・キリストの「乙女(花嫁)」に対抗すべく、実は「偽りの花嫁(愚かな群れ)」を、今の時に次々と生み出しています。それは異端勢力だけでなく、今あるキリスト教の巨大宗教、ローマ・カトリックの中にも、如実に現れ出ています。特に現在のフランシスコ法王は、それまでの歴史的伝統を覆すかの如き、新たな改革案を提唱し、実際に次々と改革を推し進めています。


 その中で際立っている改革は、2020年10月に提唱した「同性婚信者を受け入れる」ことでした。これはカトリックが、「同性婚」という結婚の在り方を、ヒューマニズム(人間的普遍の愛)の観点から、「認可する!」というお墨付きを与えたものです。しかし「聖書」の法(神の教え)には、そんな記述も無ければ、逆に「同性愛」は不品行の罪であり、決して認められるものではない!と明言しています。


 かつて2013年に、法王は万人の「救い」に関して、「私たち全員が、良い行い(共通の善)が出来ないという考えは、閉鎖性の姿であり障壁である。・・・・あなたは良い行いをすべきである。主はキリストの血によって、全ての人々を贖われた。・・・・無数主義者、彼らもまた・・・・贖われるために、神を信じる必要さえない。あなたに必要なのは、善人であるだけ。良い人であり、良い行いをする・・・・それだけである。そうすれば救われる。」と語りました。


 また2019年には「共通の善はグローバルになり、国家は自分たちの利益のために連結しなければならない。恩恵を受けたければ、グローバルな取組みに連結しなければならない。」と、ここでも世界統一宗教の「道筋」を語りましたが、彼の魂の中には、御子イエス・キリストだけが、唯一の「救いの道」である!という、絶対不可侵の聖書に基づく「真理(福音)」は、もはや存在しないことが推測できます。


日本の「乙女(エクレシア)」が目覚める時
 世の「終末」が、着実に近づきつつある今日ですが、私たち日本人エクレシアは、決して恐れる必要はありません!五人の「賢い乙女」として、日々の「歩み」と「務め」を、淡々とこなして行くだけで良いのです。そうすれば、主人(花婿)の来臨の時にも、絶やさぬ油をもって燈火を点け、花婿の御顔を仰ぎ見ることが出来ます。


 今の時が、まさしく「その時」です!エクレシアが「その時」に向けて、霊的に目覚め準備する時です。聖霊様が必ず、イエス・キリストの「御体」である、私たちエクレシア体(群れ)に、霊的シグナルを与えます。「世の水から離れ、世の塵を払い落し、シミも汚れも無い聖い花嫁として、更に美しく整えられることを、更に激しく求めなさい!」と。


 そうすれば、突然にダイナミックな天の力を得た、あの使徒行伝時代のエクレシアの如くに、聖霊様の用意する「祝福の時」、即ち霊的大収穫の時に間に合う、偉大なる収穫人(農夫)として、一日で三千人どころか、何万人の人々を霊的に刈り取る、最終的な「仕上げ」の働きに、あなたも召し出されて行くのです!


 これから数年に渡って、多くの人々が「奇病」に倒れたり、天変地異による社会的不安に陥るなど、肉体的にも精神的にも追い詰められる、そんな不安定の状況下にあっても、私たちエクレシアだけは、「命の源」なるイエス・キリストに、全ての信仰を捧げた群れとして、大胆に出陣し彼らを介抱(解放)する、そんな「緊急霊的治療チーム」の働きを、あなたは担うかも知れません。


 どうぞ今日の「ペンテコステの時」を、エクレシアの誕生日として祝福し、「真の保護者」なる聖霊様に感謝しましょう!聖霊様の「願い」は只一つ、花婿(イエス・キリスト)の来臨の時にまで、乙女エクレシアが「真の花嫁」として、更に聖く美しく完成されることです。


 あなたが「賢い乙女」として、聖霊様から真実の「言葉」を戴き、イエス・キリストという、唯一の「贖い(救い)」のシンボル(御旗)を、大胆に高く掲げながら、淡々と毎日前進して行くことが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2021年5月23日のメッセ-ジ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 


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