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神のご計画(No.4)

         それ以外に何が見えるか?




主の言葉が再び私に臨んで言われた。「何が見えるか。」私は答えた。「煮えたぎる鍋が見えます。北から災いが襲いかかる。この地に住む者全てに。・・・・私は、我が民の甚だしい悪に対して裁きを告げる。彼らは私を捨てて、他の神々に香を焚き、手で造ったものの前にひれ伏した。・・・・
                                               【エレミヤ書1章13~16節】


信仰の「確認手順」
 ご存じのように、へブル書11章1節には、とても興味深い「信仰の原則」が記されています。特に後半部分の「(目に)見えない事実を確認する」という表現は、私たちが信仰を働かせる上での、非常に大切な「ステップ(確認手順)」を示しています。


 ところで今の世界で起きている、目に見える「現実(事実)」は、はっきり申し上げて、私たちの三次元的「判断力」や「分析」では、到底推し測ることの出来ない、混沌(漠然)とした様相を醸し出し、「先」がどうなって行くのか、ある面直ぐには確認できない状況にあると言えます。


 しかし、目に見えざる「神の事実」に関しては、霊的次元に流れ行く、奥深い神の「祝福」が、ご自身の打ち立てられた「計画」通りに、如何に私たちの「現実」を支配し、推し進められている以上、着々と「成就(完成)の時」に近付いていることを、私たちは「確認する」ことが出来ます。またその霊的「確認作業」は、定期的に継続して行われるものです。


煮えたぎる「鍋」のサイン
 さて、今回の御言葉から示される第一の奥義、それは「現実」という三次元的事実からではなく、霊的次元にある「神の事実」を捉える信仰が、如何に霊的「確認作業」を実践するに当たり、重要な「ステップ(手順)」であるかを、今回エレミヤに問い質した、神の「第二の質問」から学ぶ必要があるという点です。


 エレミヤに投げかけられた、真実の神の「第二の質問」は、「それ以外に何が見えるか?」という、非常に単純なものです。これは、先ほどまで見ていた「アーモンド」から、更に先にある(神が見せようとしている)、見えざる「神の事実」を、エレミヤの「霊の眼」が、信仰をもって捉えているか?を、神ご自身が確認している言葉です。


 この神の「第二の質問」は、実は今に生きる、私たちキリスト者に対しても、聖霊様を通して同様に投げかけられています。つまりエレミヤ同様に、私たちは「今の段階」から、更に高い次の「信仰段階」に進むよう、神が積極的に促されることで、私たちも信仰の働きを継続すれば、次(それ以外)の「神の事実」が、必ず見えて来る(捉えることが出来る)のです!


 エレミヤが、実際に見た次の「シーン(霊的ピクチャーの動き)」は、 二つの異なる「動き(展開)」でした。その「動き」の主体は、「料理鍋(a pot)」であり、第一の「動き」が北の方向で、「(鍋が)煮えたぎっている(boiling)」シーンでした。続いて第二の「動き」が、北の方向から(こちらに向かって来て)、「まさに目の前で、煮えたぎった鍋が引っくり返る」という、非常に「動き」として危機迫るシーンでした。


 この二つのシーンから分かることは、明らかに「こちら」がイスラエルであり、「北の方向」がバビロン帝国を指していることです。しかし「煮えたぎる鍋」が、何を意味しているのか?それは三次元的判断からは、全く捉えることは出来ません。エレミヤは、「第一の質問」の時に示された、神のサインを知った(受け留めた)ことで、今回の場合は、更なる信仰を働かせて、次の見えざる「神の事実」を、じっくりと捉えるべく、「肉の眼」を閉じました。


 すると「煮えたぎる鍋」が、神ご自身のイスラエルに対する、「御怒り」のサインである!と、明確に確認することが出来ました。つまり神が「御怒り」を、今のイスラエルに示すべく、北のバビロン帝国の侵攻という形で、エレミヤに前もって知らせているのです。非常に分かり易い「サイン」ですが、では神ご自身は、イスラエルの「何」を見て、激しく怒られているのでしょうか?


 聖霊様は、私たちにも問いかけられます。「あなたは今の日本において、神の御怒りが、まさに起ころうとしている訳ですが、その正しい理由(神の事実)を、果たして霊の眼で捉えることが出来ていますか?」と。私は、最近の日本近海で起きている、様々な隣国の「動き」が、以前に増して激しくなっている、特に日本から見て「南西」の方角において、巨大な「赤い竜」が、大地から這い出して、鎌首をもたげながら、餌食となるものを求めて、動きを活発化しているシーンが見えます。


 私たち日本人キリスト者は、いよいよ激しく祈るべき時です。神の「御怒り」が下る「大患難」の前に、この日本を神の「救い」の次元へと、霊的に導くためです!その時には、今までの「日本史」には無かった、霊的「大収穫の時」が、必ず用意されているからです。


四つの「背信行為」
 続いて今回の御言葉にある第二の奥義、それはイスラエルの四つの「背信行為」が、今の私たちの「信仰姿勢」に対して、如何なる「注意点」を教え示しているのか?という点です。具体的には16節に記されている、イスラエルの四つの「愚かな行動」に見られます。霊的に喩えれば、イスラエルという霊的な「神の器(料理鍋)」の中に、彼らは「四つの具材」をもって、調理しようとした訳ですが、神はこれ(調理過程)を見て激しく怒り、思わず引っくり返した!と言えます。


 彼らが為した最初の「背信行為」は、①神を「捨てた」ことです。これは生涯を共にする「夫婦関係」に喩えるなら、伴侶(神)に対して、一方の伴侶(イスラエル)が真摯に向き合わない、つまり「ないがしろにする(大切な者として扱わなくなる)」ことを意味します。


 続いて彼らは、②他の神々(偶像)に「香」を焚きました。これは霊的な「姦淫」を意味します。つまり異国の「神々」に心を奪われ、次第に頼み(拠り所)とすることです。今の「コロナ禍」にある世界の、霊的シーンを捉える限り、益々「マモン神」が姿・形を変えて、多くのキリスト者に対しても、人間的な「香(拠り所)」を探し求めるよう、様々に誘惑しているのではないでしょうか!


 彼らが為した第三の背信は、③自分の手で「偶像(自分の神)」を造り上げたことです。その深層心理は、大抵次のようなものです。「本当に尊ぶことの出来るものは、現実に見えて来るものでなければ、とてもじゃないが信じれない。だから見えるものを造り上げるのだ!」と。これは神に対する、最大の「霊的汚れ」を現わすものです。つまり自分に都合の良い「価値観」や、己の「信念(主義)」に頼って生きること、これらは全て「自分の造り出す偶像」です。


 そして彼らが①から③の行為を、完成する形で為した最終行動が、④自分が造った偶像に対して、ひれ伏した(膝を屈めた)ことです。つまり「偶像礼拝」を為すことで、創造主を完全に排除し、「己の偶像」に従う(仕える)決断を下したことになります。実は私たちキリスト者の中にも、正しい神の「教え」ではなく、刷り替えられた「世俗的福音」、つまり自分に都合の良い「教え」に耳を傾ける、そんな信者が増加しつつあります。


全き従順な者として
 しかし私たちが信じる(従う)べき、正しい神の「福音」は、聖書に記された「教え」と、神の麗しい「徳性(聖い品性)」の全てを、純粋に百パーセント受け入れるものでなければなりません。と言うことは、今回記されている神の「御怒り」に関しても、「自分事」として謙虚に受け留めるべきです。即ち「イスラエルの背信は、私たちの中にも存在します。しかし神の御心にとっては、それらは必要なき忌むべきものです。ですから聖霊様を通して、これら全てを捨て去り、私の霊(鍋)を隅々に至るまで、どうか聖めて下さい!」と祈りつつ。


 「背信」の反意語は、「全き(真摯な)従順」を指します。「遜って忠実に従う」ことこそ、神への「生きた(真摯な)礼拝」です。そうです!私たちは「十戒」の教え通りに、「神に全てを捧げて、生涯の限り神に仕え続けます!」と告白する、イエス・キリストの「花嫁(エクレシア)」です。


 いよいよ万軍の主、全能の父なる神が、「上(天)」という素晴らしい霊的方角から、新しい「天地」を再創造するべく、御子イエス・キリストの「再臨の時」を、着々と推し進めている訳ですが、その前に必ず現れ出る、神の「御怒り」のサインを、私たちは明確に天から確認する(受け取る)、そんな「赤信号」の時と言えます。


 私たちが「今の時」に生かされている理由は、このシビアな激動の時代にあっても、真摯に真実の神に向き合い、神の「叫び」と「御怒り」のサインを、遜って受け留めながら、聖霊様の取扱いを通して、日々聖められて行くことに他なりません。そうすることで、私たちは神の「有用な器(料理鍋)」、つまり神にとっては「無くてはならないパートナーシップ」として、この激動の時代に用いる!それが神の、私たちに対する偉大なる「ご計画」です。


 エレミヤに投げかけられた第二の質問、「それ以外に何が見えるか?」の霊的促しに、どうぞあなたも、今からでも「真実の神」以外のものが、自分の「霊」の中に存在していないかを、聖霊様の「聖め」の働きを通して、緊急に精査することが出来ますように。そして霊的に「砕かれた真摯な器(鍋)」へと、日々美しく、更に聖く整えられて参りますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2021年1月24日のメッセ-ジ)


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