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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

正しい生き方(No.19)

                       夜中のプロポーズ




ルツは、「言われる通りに致します」と言い、麦打ち場に下って行き、姑に命じられた通りにした。・・・・夜半になってボアズは寒気がし・・・・見ると、一人の女が足元に寝ていた。「お前は誰だ」とボアズが言うと、ルツは答えた。「私はあなたのはしためルツです。どうぞ、あなたの衣の裾を広げて・・・・覆って下さい。・・・・」ボアズは言った。「・・・・私の娘よ、心配しなくていい。・・・・主は生きておられる。私が責任を果たします。・・・・」ルツは、夜が明けるまでボアズの足元で休んだ。
                                                                   【ルツ記3章5~14節】


純粋に従う「信仰」
 今回の記事において、実に興味深いセリフが、9節に記述されています。直訳しますと、それはルツが発した「どうぞ、この私と結婚して下さい!」という、夜中のプロポーズです。普通プロポーズは、女性の側から申し出ません。しかしルツの場合は、全てを確信した上で、大胆に告白したのです。


 今回の記事から学ぶべき第一の奥義、それはナオミがルツに命じた、ある言葉が非常に重要となる!という点です。それは今に生きる、私たちキリスト者に投げかけられた、信仰のチャレンジでもあります。


 私たちは「信仰」というものを、次のように捉えているのではないでしょうか?それは信頼している方に、自分が願い出る時に、いつ如何なる時にでも、その方は御心のままに「聞き入れて」、「助けて(引き上げて)」、「変えて」下さる、そして更にその方の深い「真実の愛」の中で、自分を「導いて」下さる!等と、このように信じ切ること。


 しかし「信仰」は反面、その方に信頼する時に、その方の御心に「純粋に従う」という、なかば不自由さを余儀なくされる!という、一種の「恐れ(抵抗感)」も付きまといます。ルツの場合、彼女は義母ナオミの命じた、信じがたい「命令」に抵抗感を覚えましたが、先ずは主なる神の「御心」に従うべく、正しい選択をした結果、今回の出来事に導かれたのです。


 ナオミが命じた言葉は、「あなたは今、非常に恵まれた神の時の中にあります。だから私が言う通りにしなさい!あなたが今から命じることを、忠実に果たすのであれば、真実の神はあなたの為に、豊かな道を開いて下さいます。」という、非常に預言的な内容でした。と同時に、その具体的な「命令」は、自分の「生死」を賭ける程の、人生最大の「賭け」でした。


 それは良き結果になれば、彼女にとって「幸せ」の始まりですが、逆に悪しき事態になれば、一生「恥さらし」の汚名を被ることになります。しかしナオミの命令に従うことで、神の豊かな「祝福の扉」が、必ず開かれることを信じた彼女は、言われることを素直に実行したのです。


 さてナオミの発した命令は、今に生きる私たちキリスト者にも、聖霊様を通して同様に命じられています。ルツは夜陰(暗闇の時)に紛れて、ボアズの作業場に潜り込みました。この時の彼女の大胆な信仰行動は、先ず①不安と恐れが覆う「暗闇」を恐れなかったことです。第二に②「果たしてそこに行き着いたとしても・・・・?」などの疑いに屈しなかったことです。第三に③ボアズの足元にて、(ボアズが起きるまで)ひたすら待ち続ける忍耐力です。


あなたは誰ですか?
 ルツは命じられる通りに、信仰をもって行動した訳ですが、「先(結果)」がどうなるかを、全く知りませんでした。身震いするほどの緊張感と、ボアズの寝息だけが聞こえる静寂の中で、ルツはどれ程の「思い」をもって、「その時」を待っていたのでしょうか?


 そして遂に「その時」、即ちボアズが眠りから覚める時が、突然に訪れました。当然の如く、目覚めたボアズが驚きました。暗がりの中で、足元に得体の知れない人物が、身震いしながら横たわっていたからです。思わず彼は「あなたは、一体誰ですか?」と優しく尋ねました。


 彼のこのセリフは、私たちにとっても非常に、大きな霊的「励まし」を与えます。実は彼は暗がりの中でも、その人物から発する、麗しい「香り」をキャッチし、その主(ルツ)を特定していました。しかし彼は、あえて問い質すことで、彼女の大胆な行為を受容したのです。するとルツの方でも、「私は貴方様の僕(はしため)である、ルツでございます!」と、気品ある丁寧な口調で返答しました。


 このボアズの発した「あなたは、一体誰ですか?」が、今回の記事の第二の奥義です。つまり御子イエス・キリストも、霊的花婿なる方として、私たちキリストの花嫁に対して、同様の「問いかけ」を、盛んに発しておられることです。「あなたは、一体誰ですか?」という霊的問いかけは、私たちの側が知らないから問うのではなく、「あなたは私にとって、どういう関わりのある身分の者ですか?」と、逆に私たちに気付かせる(改めて問い質す)言葉です。


 そうです!イエス・キリストご自身も、この言葉をもって今も尚、私たちの信仰を勇気づける(励ます)べく、正しい霊的関わりを示して下さいます。私たちの花婿なる方は、「私にとって貴方は、重要な関わりの中にあるのですが、貴方の側からも身分を、信仰をもって宣言して(名乗って)欲しい!」と、常に御声を発しておられるのです。


 そして問われた側のルツは、待っていたかの如くに、「信仰の扉」を開け、続いて次のような信仰の宣言を発しました。「私がここに居る理由は、ただ貴方様が素晴らしい方だからです。私の今回の行為に対しても、豊かに報いて下さると確信しております・・・・。どうか、この私と結婚して戴けますか?」


 常識では考えられない、ルツの発した覚悟の言葉(プロポーズ)は、確信に満ちた信仰宣言です。この言葉(プロポーズ)を聞いた瞬間、ボアズは物理的に固まりました。即ち、ノックアウト状態でした。彼は内心、小躍りしたい感情に駆られましたが、「分かりました。但し(正式な回答は)待ってくれますか?親族会議を開いて、皆からの了承を得なければなりませんので。私は主なる神が、常に生きて働いておられることを確信していますから、貴方のプロポーズに対してイェス!です。」と、優しく返答しました。


 私たちキリスト者は、確かに今の時代、霊的に「暗闇」に覆われた中で、一生懸命に生きています。しかし私たちの花婿なる方、主イエス・キリストは、常に私たちの「霊の扉」をノックして下さり、「愛する方よ、私は花婿として、あなたの霊の只中に入りたいのだが、貴方は私にとって、如何なる身分の者ですか?それを聞かせておくれ!」と、霊的に促して下さっています。


 さて「霊の扉」の内側に居る、私たちに問われる霊的姿勢は、如何でしょうか?眠りこけた愚かな花嫁の身分でしょうか、それとも絶えず霊的炎(祈り)を灯し、ひたすら待ち続けた賢い花嫁でしょうか?暗闇の中にあっても、私たちが片時も用意すべき、ある言葉があります。それが「花婿なる主イエス・キリストよ、来て(お入り)下さい!どうか、この私と結婚して戴けますか?」という、霊的プロポーズです。


 そうです!いよいよ主イエス・キリストの、「来臨の時」が近付いています。あなたもルツの如くに、「待ってました-。どうぞ来て下さい!真の花嫁として選んで下さった、この私と結婚式を挙げるべく、天上に連れて行って下さいますか?」と、大胆に信仰告白しながら前進できますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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