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信仰の完成(No.17)

                             城壁の完成




城壁は52日かかって、エルルの月の25日に完成した。私たちの全ての敵がそれを聞くに及んで、・・・・恐れを抱き、自らの目に大いに面目を失った。私たちの神の助けによって、この工事が為されたのだということを悟ったからである。その頃、ユダの貴族は、頻繁にトビヤに手紙を送り、・・・・彼と互いに密約を交わす関係にあった・・・・。彼らは私たちの前ではトビヤへの賛辞を述べ、トビヤには私の言葉を密告した。トビヤは私に脅迫の手紙をよこした。
                                                                                               【ネヘミヤ記6章15節~19節】


「52日」という驚異的数字
 ご存知のようにネヘミヤは、総督という要職(立場)にあり、毎日の行政事務の報告(日誌)を記録しました。この記録を残していく上で重要なことは、先ず①年月日となりますから、この「ネヘミヤ記」を読む限り、明らかに彼は、ある計算をしていたことが伺えます。


 そのある計算とは、具体的には「52日」という数字です。52日で城壁工事が終了すること、これは現在の建設工事から見ても、かなりのスピ-ド工程です。何故これが可能であったのか?それは人間的な力(技術)では不可能です。ましてや「敵」が、常に工事を妨害する中にあっては、とても短期間での完成は、見通しがつかないと思われます。


 この「52日」で城壁が完成した!という事実に対して、敵は気を挫く結果に至りました。神が一度命じられたことが、実際に成就(完成)した後には、敵が如何に妨害しても、乗り越えることの出来ない程、神の「守り(城壁)」が鉄壁になるのです。


三つの意味
 さて、エルサレムの城壁が完成すること、その重要な奥義は、私たちの信仰の再建に関することです。聖霊様は私たちの信仰が、たとえボロボロに崩れたとしても、絶えず修復して下さいます。その過程の中で「信仰の完成」、つまり再建が終了することに関して、実は三つの重要な意味があります。先ず第一に①完成と同時に、神の守りが始まることを意味します。確かに私たちの信仰は、今だ完成とは言えません。しかし私たちが、あの使徒行伝の時と同様に、聖霊様の油注ぎを受け、信仰の眼、信仰の耳、信仰の唇が再建し続けるのであれば、全人格的な信仰の完成に至るのではないでしょうか!


 覚えて戴きたいことは、聖霊様による信仰の再建手順と、完成までの各ステップは、敵が「まさか(52日間で・・・・)!」と思える程の、意表を突いた取扱いの中で為されることです。この「52日」で城壁が完成した、その工事方法の最大の特徴は、工事に携わる全ての従事員が、昼夜を問わず交替で作業を続けた、つまり「突貫工事」だったことです。


 余談になりますが、今のキリスト教界(各種の宣教団体含む)の中に、このような二交代システムで、礼拝を捧げている教会・奉仕グル-プは、数少ないと予想されます。敵はこれを忌み嫌います。即ち、神の民が「昼も夜も神の教えを口ずさむ」信仰のことです。


 次に、エルサレムの城壁が完成すること、その第二の意味は、②神の畑(土地)を安心して耕作できるということです。実は私たちの信仰の歩みにおいても、この霊的耕作活動は非常に重要となります。この世の土地を耕すことに勤しむのか、それとも神の畑にて霊的に勤しむとでは、その意味合いが180度違います。この世を耕せば、一時的には何らかの利得が生じ、満足感が得られることでしょうが、それは必ず徒労に終わります。


 しかし神の畑は、霊的に開墾すればする程、神の豊かな霊的産物にあずかり、たとえ目に見える利得が無くとも、心は神の永遠の安らぎに満たされ、益々神の御心を求めて前進するのです。


 そして第三の意味は、城壁が完成したことにより、③次なる新しい戦いが始まることです。今までの戦いは、敵によって内側からかく乱されるということで、非常に苦戦を強いられましたが、神の守り(砦)が完成されることにより、安心して(大胆に)出陣する、つまり敵の攻撃を先に封じ込めるべく、出て行って敵の支配地を奪還することが可能になります。つまりこの世に縛られた多くの魂を、敵の縛りから解放し、神の守りの中に帰還せしめる、大宣教の働きが拡大するのです。


敵は必ず面目を失う
 その結果、遂に敵が本性を現すことになりました。と言うより、今まで見えなかった敵が、聖霊様の働きにより暴露されたことになります。その敵とは、ネヘミヤが監視していた人物、つまりユダの貴族の一部、しかも彼らは敵のトビヤと姻戚関係を結ぶなど、愚かな集団でした。


 何度も繰り返しますが、ネヘミヤの総督としての権限は、ペルシャ帝国の王の代理として、一個師団の軍隊をもって、トビヤたちの不正行為を一方的に弾劾し、死刑などの処罰を下す絶大な力を有していました。しかし彼は、常に神の「助け」によって勝利することを、以前から体験していましたので、今回もひたすら、神の「御心」のみに服する!という、霊的にへり下った姿勢を貫きます。


 このように、ネヘミヤは常に自分の立場をわきまえていました。「事を始められた方は、あくまで神であられるが故に、神が事を必ず(人間的な方法に依らず)完成して下さる!」と。その結果、「52日」経過した時に城壁修復工事が完成し、敵は面目を失ったのです。そして何と、工事に従事していた人々が、次からは城壁を守る警備兵(監視兵)として、交替で任に当たることで鉄壁の守りが完成し、いつでも臨戦態勢に入る備えも出来たのです。


 新たな戦いに対して、ネヘミヤは内側の敵(ユダの貴族の一部)を処断することはしませんでした。それよりも、自分たちが更に心を一つにし、神の守りの中で贖われていくことに専念しました。そして各職が、責任をもって事に当たった結果、神の助けが相働きて益となりました。


 現実という敵が、大きく立ちはだかっている場合、それは敵の仕掛ける「罠」に過ぎません。この問題に対して、人間的な方法をもって事に当たると、それは最終的に徒労に終わります。しかし事の大小がどうあれ、主なる神は前もって、聖霊なる方の助けをもって守り導き、私たちを日々造り変えていて下さいます。そして今も尚「弱い私たち」が、イエス・キリストという、強固な土台の上に建て上げられるべく、聖霊様自らが私たちを、強い信仰者として修復し、必ず完成して下さいます。


 ですから私たちが、聖霊様に依り頼んで行く限り、常に「完成」に至る道備えがあることを、是非信じて参りましょう!聖霊様の聖なる「守り」の中で、私たちは(たとえ突貫工事になろうとも)敵に勝利するのです。ですから私たちは、決して妥協してはなりません。この世の畑を耕してもなりません。


 私たちは、ただ神の「助け」と「方法」によって、昼も夜も神の畑を耕す、聖なる神のしもべ(兵士)です!各職が各持ち場において、課せられた責任を果たすためには、私たちは何を為すべきでしょうか?あなたが「朝に祈り、夕べに神を讃え感謝を捧げる」ことが出来る、神のしもべとして整えられますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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