バルナバ・ブログ村診療所

命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Good-Shepherd(No.8)

            イサクに開かれた「唯一の門」




アブラハムは・・・・僕に言った。「・・・・主にかけて誓いなさい。あなたは私の息子の嫁を私が住んでいるカナンの娘から取るのではなく、私の一族のいる故郷へ行って、嫁を息子イサクのために連れて来るように。」・・・・アブラハムは・・・・「決して、息子をあちらに行かせてはならない。天の神である主は・・・・あなたの行く手に御使いを遣わして、そこから息子に嫁を連れて来ることが出来るようにして下さる。・・・・」
                                                                            【創世記24章2~8節】


「唯一の」という神の方法
 今回のイサクの結婚に至るプロセスは、一般的に見て大変な「手続き」に映ります。私たちは今回の記事を、単なる結婚に至る「縁談話」として把握してはなりません。私たちの主イエス・キリストは、霊的に花婿なる方です。そして私たちキリスト者は、いつの日か「御国」において、花婿なる方の御元へと、霊的に嫁いで行く「キリストの花嫁」です。


 そして御国に行き着き、嫁ぐ為には様々な霊的条件、即ち信仰上の「プロセス」が必要になります。しかし主なる神が、私たち(キリストの花嫁)を祝福する方法としては、実は「唯一の門(只一つの方法)」しか与えていません!つまり「唯一」とは、それ(唯一の方法)に従いさえすれば、一番簡単である!ということです。


 非常に興味深いことですが、今回の記事には主役イサクの、「セリフ(言葉)」が一つも無い!ことです。ここに神の豊かな「奥義」があります。イサクは霊的に、「イエス・キリスト(神の独り子)」の雛形です。アブラハムの「唯一の実子」が、たった独りの子イサクです!そして父アブラハムが、真実の神に捧げた「生贄」の方法が、唯一の約束の子イサクを、祭壇上にて屠ることでした。これ(唯一の方法)しか、主なる神が認めなかったからです。


 使徒パウロは、この「唯一の礼拝(生贄)」に関して、ロ-マ書において「自分自身を生きた聖なる生贄」として捧げること、これこそが「真の礼拝」である!と断言しています。このように、「イサク」に付随する霊的キ-ワ-ド、それは「唯一」です!ですからイサクの「花嫁」となる、リベカとアブラハムの僕(執事)との「出会い」も、たった一つのプロセスでした。


 しかも待つ身のイサクの場合は、(自分から)一切動くことが許されません。何も(相手方に対して)要求すら出来ません。唯一動くことの出来る者、それがアブラハムの僕でした。アブラハムはある時、その僕に対して「誓いの言葉(命令)」を発します。「命」と「命」を懸ける、ご主人様の「誓い」を聞いた時、僕は一瞬ドキ!としました。条件が「唯一」だったからです。


 イサクに対して霊的に課せられた、この「唯一」という生き様は、私たちにとって「難儀さ」を覚えるものです。しかし覚えて下さい!この「唯一」の中に働かれる、父なる神の御心は「唯一であるからこそ、一番貴い(聖なる)」のです。他とは比べ物にならない程、唯一無二の「ご品性」が、実は霊的イサク(イエス・キリスト)には、永遠に附随しているからです。


 と言うことは、この貴い「独り子(イサク)」に対して、祝福する方法も「唯一」でなければなりません。父親としてアブラハムは、この絶対真理とも言うべき、主なる神の「御心」に従うべく、僕にも「唯一」の方法に従うよう、「命」と「命」の誓いを、互いに交わしたのです。


四つの条件(閉じられる門)
 では具体的に、アブラハムは僕に対して、何を指示したのでしょうか?大きく四つの内容に分かれます。先ず①イサクの嫁は、カナンの地から決して選んではならないこと。第二に②主人の故郷の地に向けて、直ちに出立すること。第三に③出立する際は、僕一人で行き(捜して)嫁を連れて来ること。最後に嫁を選ぶために、④息子イサクを連れて行ってはならないこと。


 これをじっくりと聞いていた時、僕は思わず「これは、偉く大変な条件を突き付けられたものだ!」と悩みました。しかし「誓い」は変えられません。主人アブラハムの為す「全て」において、主なる神が「祝福」を与えていることを、常に目前にて確認していた僕は、それでも従うことが出来ました。そうです!アブラハムも晩年、神による「唯一の門」に入ることで、大いなる「祝福(神の領域)」を手にしていたからです。


 アブラハムは僕が素直に受諾した際、次のようにアドバイスを授けました。「私の生まれ故郷から出る女性で、あなたに従って来る者が、息子イサクに相応しいのだ。神は必ず、あなたをそこに導く。それ故あなたは(恐れずに)、ただ行きさえすれば良い。そうすれば必ず、あなたは(その女性を)見出すことが出来る!」と。


 四つの条件は、ある面で四つの「閉じられた門」を意味しています。そしてそれは、イサクに与えた祝福が、アブラハムに始まった祝福の原点がただ一つ、つまり人間的な方法に依らず、神の「唯一の方法」を通して、初めて確立することを教え示しています。


 主なる神が為される方法は、「そこから息子に嫁を連れて来ることが出来るようにして下さる」(7節)の御言葉にある如く、人が様々に為す「肉の努力」を、遥かに超えた次元の中で、主なる神自らが「これを為す!」という、信仰によって確立する「唯一の門」を教え示しています。


 あなたにも受け取って戴きたい真理、それが「唯一の」という信仰です。唯一の花婿なる主イエス・キリストが、花嫁である私たちに対して望むことは、私たちを「唯一の花嫁として救い出し、迎え入れ、共に歩む!」ことです。その結果、私たちが踏み行くべきゴ-ルも「唯一」です。「花婿なる方の御心に全て付き従う!」ことです。


 私たちを常に見守り、かつ受け入れて下さる主なる神は、花婿なる主イエス・キリストを、私たちの「歩み」の先に遣わされ、私たちの「一歩」を確かなものとされます。また唯一のゴ-ルである、神の豊かな祝福(偉大なる遺産)を受け継ぐ者として、聖霊様を通して私たちに働きかけて下さいます。


 そうです!あなたを神の栄光の領域へと、更に召し出して下さる聖霊様が、今日を踏み行くあなたの「一歩」を、着実に導いて下さいますように。あなたはキリストの「証人」であると同時に、キリストの唯一の「花嫁」です!神の王族(プリンセス)として、あなたが信仰をもって前進できますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

×

非ログインユーザーとして返信する