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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Thanksgiving(No.22)

                     全てに優る偉大なる神




                                                    神の中の神に感謝せよ。
                                                    慈しみはとこしえに。
                                                                         【詩篇136篇2節】


私たちの信仰の「土台」
 私たちが、神ご自身の「ご性格」と「品性」などを、高らかに讃えつつ「感謝」を捧げることで、実は偉大なる真実の神が、私たちに「ご自身」を示して下さり、私たちの行くべき「道のり」の、全てに渡って切り開いて下さいます。また新しいことを、次々と起こされることで、今まで見えなかった次元(神の事実)が、豊かに実現することになります。


 ご存知のように日本民族の宗教的根幹は、日本神道に見られる「八百万の神々」信仰です。しかし、私たちキリスト者は唯一の神、真の神という、ただ「御独りなる方」を信じていますので、彼らの神々とは相容れません。即ち「見える神々(偶像崇拝もしくはアニミズム信仰)」と、「見えざる唯一神」と言う、相反する「神概念」があるからです。


 「日本教(神道と仏教が混じり合った教え)」とも言える、今の日本人の宗教価値観の中にあって、私たちが危機感を覚えなければならないことは、戦前の「亡霊(国家神道を土台とする軍国主義)」が、別の形をとって再び蘇りつつあるという点です。


 私たちの信仰は、確かに堅固なる岩(イエス・キリスト)を土台としていますが、「この世」から来る様々な「試練」等によって、時折ぐらつく「弱さ」があります。しかし、私たちには見えざる神が、私たちを常に支配し導いて下さり、私たちを霊的にも、肉体的にも生かす中で、更には練り聖め完成して下さるという、「神の事実」の中に存在しています。


 さて「死」を目前にしても、私たちは「信仰」を守り通すことが出来るでしょうか?それは自分の「死」だけでなく、家族の「死」を突き付けられた場合にもです。日本のキリシタン弾圧時代や、ロ-マ帝国による迫害時に見られる、「殉教(死)」という名の「信仰」の選択のことです。


「死」を恐れない信仰道
 彼らの殆どが全員殺されました。彼らは肉体的「死」を恐れませんでした。何故でしょうか?私は正直申し上げて、そのような「殉教(死)」を前提とする、迫害の経験をしたいとは思いませんが、そういう事態が近づきつつある中にあって、私たちもいずれは「その時」に向けて、信仰が練り聖められるよう、その霊的準備(訓練の時)は求めるべきです。聖書の記事の殆どを調べてみても、これは避けられない霊的訓練です!


役人たちはやって来て、ダニエルがその神に祈り求めているのを見届け、・・・・「王様、ご存知の通り、メディアとペルシアの法律によれば、王による勅令や禁令は一切変更してはならないことになっております。」それで王は命令を下し、ダニエルは獅子の洞窟に投げ込まれることになって・・・・王は宮殿に帰ったが、その夜は食を断ち、・・・・夜が明けるや否や、急いで獅子の洞窟へ行った。・・・・王は不安に満ちた声をあげて・・・・呼びかけた。「ダニエル・・・・お前がいつも拝んでいる神は、獅子からお前を救い出す力があったか。」ダニエルは答えた。「・・・・神様が天使を送って獅子の口を閉ざして下さいましたので、私は何の危害を受けませんでした。」・・・・ダニエルは引き出されたが、その身に何の害も受けていなかった。神を信頼していたからである。
                                                                                           【ダニエル書6章12~25節】


 この記事には、ダニエル本人の「セリフ」が、最後(死の危機を通過した時)にしか記されていません。ダニエル・グル-プに対して、日頃から敵視していた役人(高官)たちは、一度目の失敗(ダニエルの三人の友人を処刑する謀略)にも関わらず、今回はダニエル本人に対して、更なる「謀略(罠)」を仕掛けました。


 しかし、彼らの「謀略」に気付いていたダニエルは、今回も王様に対して、一切「何」も語りませんでした。何故ならダニエルは、今回の謀略から生じる、自分の被害(処刑)の後に来る、「先(神の事実)」を見ていたからです。また仮に自分が「死刑」になったとしても、主なる神は「偽らざる神」であり、自分の民族を滅ぼすことなく、いつかは「帰還の時」を用意して下さる!と、堅く信じていたからです。


 そして「死刑」執行が為され、遂には吠え猛る「獅子」の洞窟に、投げ落とされたのですが、何とダニエル本人は、一切何事も無かったかのように、王様の問いかける「安否」に対して、冷静に返答したのです。そして見ると獅子たちは、大人しいペット(飼い猫)の如くに、ダニエルの周りで寝そべっているではありませんか!


 ・・・・そしてダニエルに対する「迫害(処刑)」の後に来る、「先(神の事実)」の結末としては、ダニエルとイスラエルの民を、帝国本土から殲滅させる法律を立法化した高官たちと、その一族郎党の全員が、逆に「獅子」の洞窟に投げ落とされ、処刑される(噛み殺される)という、驚愕すべき事件として記録されました。


偉大なる神だけを感謝しよう!
 日本国は、いずれ「反キリスト(666)」が台頭してきた時に、軍事国家として国際協調(平和)の名の下に、世界各地に派遣されて行くことでしょう。しかしそれとは裏腹に、かの者は日本の国家元首に対して、自分の政治姿勢に従わない団体、特に「キリストの花嫁」集団を撲滅するよう、様々な圧力を要求して来ることでしょう。


 「その時」に、私たちの信仰上の真価が試されます。かの者に膝を屈めるのか、それともイエス・キリスト同様に、迫害を受けても「死」を選択するのか?ということです。しかし、真の主人(イエス・キリスト)が、まもなく再臨されようとしている時に、私たちの「熱情の愛」を止めることの出来る者は、「この世」の権力者と言えども一切ありません!


 ノアしかり、ヤコブの子ヨセフしかり、モ-セとヨシュアしかり、今回のダニエル、そしてモルデカイなど、彼らの全てが真の主のみを崇めて、彼らの迫害に屈することがありませんでした。彼らに共通することは、何者をも恐れない、つまり畏れ敬うべきお方は主なる神だけであり、彼らは主なる神の偉大さに、真心から敬服しながら、常に「感謝」の祈りを捧げていたのです。


 迫害で殉教していった人々は、「死(一時的なもの)」を単なる通過点としか見ていませんでした。その「先」にある、見えざる「天(永遠性)」を常に見ていたからです。


このように、私たちは揺り動かされることの無い御国を受けているのですから感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えて行こう。
                                                                                                  【ヘブル書12章28節】


 イエス・キリストの豊かなる「導き」と、真の主なる神の偉大なる「支配」が、聖霊様の絶えざる「とりなし」の祈りの中で、更にあなたの信仰を完成して下さるよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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