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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

神の時(No.4)

                      さー話しておくれ!




人々は彼に詰め寄って、「さあ、話しておくれ。この災難が我々に降りかかったのは、誰のせいか。あなたは何の仕事で行くのか。何処から来たのか。国は何処で、どの民族の出身なのか。」と言った。ヨナは彼らに言った。「私はヘブライ人だ。海と陸とを創造された天の神、主を畏れる者だ。」人々は非常に恐れ、ヨナに言った。「なんということをしたのだ。」人々はヨナが、主の前から逃げて来たことを知った。彼が白状したからである。
                                                                                                           【ヨナ書1章8~10節】 


分化した「言葉」の惑わし
 ご存知のように私たち「人間」だけが、明確な「言葉(言語)」をもって、コミュニケーションを交わすことの出来る生物です。しかし、今回覚えて戴きたい第一点目は、この「言葉」の中には、様々な「惑わし」があることです。何故ならば、「バベルの塔」が破壊され、「言葉」が民族ごとに、様々に分化した以降の「言葉」というものは、アダム(エバ)の犯した「罪」故に、霊的に汚れたものとなっているからです。


 父なる神は何故、「言葉」を分化したのでしょうか?それは「言葉」が本来の、麗しい「神の言葉」として聖別されなけれぱ、依然としてそれは汚れたものであり、人々を様々に惑わしていくことを、先ず私たちキリスト者に知らしめるためです。そうです!私たちキリスト者は、神が与えて下さる「神の言葉」が、私たちの「唇」に、新しく着せられる必要があるのです!


 また「罪」が故に私たちは、「言葉」を正しく使用することが出来ません。私たちキリスト者は、イエス・キリストの「救い」によって、霊的に贖われた民です。しかし「この世」の人々の中で、生活を共にしなければなりませんので、「この世」の人々が使用する、「人の言葉」をもって様々に判断し、様々にコミュニケーションを図るなど、これが私たちの現実であり「弱さ」なのです。


 覚えて戴きたい第二点目は、聖霊様が私たちに臨まれる時には、私たちが「思い」にも寄らない次元の中において、天より大いなる「神の言葉」が着せられます。そして着せられた以上、聖霊様が定めた「その時」に、「語りなさい!」と必ず命じられます。そして、神が与えて下さる「新しい言葉」をもって判断する、つまり世の人々が語る「人の言葉」の次元ではなく、神の「御心」にある奥深い領域(次元)の中に、人々の持つ「言葉の惑わし」を、正しく見定めていく必要があるのです。私たちは、人間的な「憶測」や「判断」ではなく、聖霊様が示して下さる、正しい霊的洞察によって、霊的に教えられるべきです。


神が用意する「証言台」
 船長及びクルーたちは、今にも船が沈没しそうな状況にあるにも関わらず、決して動揺すること無く、堂々としているヨナの態度を見て、「お前は一体、何者なのだ?さー話しておくれ!」と、ヨナに対して願い出ました。このことは、物凄い霊的リバイバルの前兆を示しています。


 余談になりますが、今世紀になって世界各地で起きている、巨大地震の連動は、まさしく父なる神の新しい「天地創造」の御業、つまり神の最終段階の働きが、始まっているのではないでしょうか!最終的な「完成」を仕上げるため、「大地」を揺り動かされる父なる神が、遂に「日本民族」を霊的に振るうべく、私たち日本人キリスト者を、この時のヨナの如くに、直々に任命しておられるのです。父なる神の「ご命令」により、聖霊様が地の面を巡る時、大地は震えるのです!何故でしょうか?「真の光」なる方の出現の時が、刻々と近付いているからです。


 父なる神が用意される「証言台」、それはいつ(どのようなプロセスをもって)、私たちにもたらされるのでしょうか?先ず第一のプロセス、それは前面には「敵」が待ち構え、後ろには「崖っぷち」しか無い!という状況の時です。この段階には、私たちは未だ至っていないのかも知れません。次の段階、それは第一の段階を経て、渋々「肉の力」を放棄する時です(この段階では、未だ立った状態にある)。そして最終プロセスは、膝の力が萎えて座り込み、遂に両手を神の前に挙げて、「もう無理です。どうか助けて下さい!」と降参する時です。


 私たち日本人キリスト者の中には、霊的な「傲慢」が未だ残っています。例えば「私たちは聖霊様を通して、何でも出来る!」などと告白する姿勢。しかし、聖霊様に「自分」を完全に明け渡した者は、「私は~できる!」と、軽々しく告白しません。むしろ「主よ、あなたに依り頼むだけです!どうぞ、あなた様の時を、あなた様の御業を、あなた様の方法で為して下さい!あなたが、この私を呼ばわる時に、あなた様の御元へと、私は直ちに馳せ参じます!」という、へり下った姿勢に徹します。


三つの「証言」
 今の日本は霊的に見て、父なる神が用意される「証言台」とは別に、自分と言う名の「証言台」を、必死に構えようとする傾向にあります。「いや、私がやります!私が話すのです。私の方法で・・・・」などと。しかし「神の時」至らば、この時のヨナの如くに、神の「証言台」が打ち立てられていくのです!そして「私(あなた)」が、神の「証言台」に立つよう導かれ、神の「言葉(証言)」を、大胆に語る「その時」が、もう目前に迫っています。


 「その時」私たちは、果たして何を語るのでしょうか?ローマ書8章に記されている通りに、聖霊様が弱い私たちにに働かれる時、私たちはどのように語るべきか分らないのですが、それは明確に説明できる程の「供述内容」になります。それ故、私たちは「その時」に、聖霊様が示して下さる「供述証言」を、語っているか否かが問われることになります。


 具体的な「供述」とは、船長がヨナに対して問い質した、第一の言葉に見られるものです。「この災難が我々に降りかかったのは、誰のせいか。」これから日本及び世界各地で、今まで経験したことの無い規模の、様々な出来事が起こります。それは「事件」や「災害」というレベルのものではなく、自分たちが生きるか死ぬかが、問われるようなレベルの出来事です。そのような出来事が起き始めた時に、真の神の「宮(エクレシア)」に集うキリスト者だけが、決して動揺すること無く、堂々としている様(生き様)を見て、聖霊様が世の人々を導いてきます。そして彼らは、船長たちと同様の質問を、私たちに投げかけてくることでしょう。


 その時私たちは、次のように第一の証言を語るのです。「全ての出来事は、神の御心によらなければ、何一つ起こり得ません!災いと言えども同様ですが、これらは決して私たちにとって、災いに終わるものではありません。それ故、あなた方が心から悔い改めて、神の救いを追い求める時に、これらの災いは直ちに過ぎ去る(過ぎ越す)ことでしょう!」と。


 続いて船長が、ヨナに対して投げかけた二番目の質問は、「あなたは何の仕事で行くのか(あなたは一体、ここで何をしているのか?)。」です。この質問に対する私たちの第二の証言は、「私たちは、ここ(神の宮)で礼拝を捧げているだけです!私たちの職務は、霊と真による礼拝です。見て下さい。私たちは神の救いを、常に追い求めているからこそ、このように神の平安の中で生かされるのです。神の宮には、真の幸せと救いが満ち溢れていますよ。」と。


 船長が最後に投げかけた質問は、「何処から来たのか。国は何処で、どの民族の出身なのか。」です。つまり、私たちが証言する第三の「供述」とは、私たちの「霊的生い立ち(霊的な誕生(新生)の時から今までの生き様、数々の救いの証言)」のことです。有名な賛美歌「アメイジング・グレイス」にある証言の如くに、「私はかつて見えざる者であったが、神の驚くべき恵みにより救われ、今ははっきりと見えるようになった。かつては自分の罪故に、滅び行く者であったが、今は如何なる事からも贖われ続ける、神の驚くべき恵みの中に生きる者である!」と大胆に宣言するのです。


 私たちは、これらの「証言」を語る時が必ず来ます。だからと言って、今から心配する必要はありません。聖霊様に導かれながら、「ありのまま」を語るだけで良いのです。語るのは「あなた」ではなく、助け主なる方「聖霊様」です!そうです!聖霊様は今日も尚、私たちには見えざる、聖霊の風をもって働かれます。「私の愛する下僕よ。あなたはイエス・キリストの、大いなる証人である!」と。私たちはイエス・キリストの証人である!この「神の事実」を受け取りましょう。


 イエス・キリストの証人とは、別の言葉ではイエス・キリストの花嫁をも意味します。花嫁が一番に語る(証言する)事柄は、愛する「花婿」のことであり、花婿が一番に投げかける言葉が、「花嫁に対する愛」ではないでしょうか!聖霊様が私たちを、主イエス・キリストの証人として仕立てる時、いつ如何なる時にも、神の「証言台」が用意されることを信じて下さい。


 ヨナは、遂に「神の時」至りて、神の言葉を証言することになります。すると、大いなるリバイバルの時が、船長以下クルーたち全員に、もたらされることになります。「天」からの正しい知恵と、「天」からの豊かな洞察力が、聖霊様の働きを通して、あなたに益々降り注がれることを、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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